弁護士が語る!経営者が知っておきたい法律の話(第117回) インフレによるコストアップへの適切な対応とは(後編)

法・制度対応

公開日:2024.06.24

 前編では、コストアップの中で中小企業が賃上げ原資を確保できるように政府が策定した「パートナーシップによる価値創造のための転嫁円滑化施策パッケージ」(以下:転嫁円滑化施策パッケージ)に基づく、公正取引委員会(以下:公取委)による独占禁止法・下請法の執行強化を解説しました。

 後編では、コストアップ分の価格転嫁円滑化の取り組みに関して公取委が行った特別調査の結果、労務費の転嫁が進んでいないと明らかになったため策定・公表された「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」(以下:労務費指針)について解説します。

労務費指針の概要

 労務費指針は、2023年11月29日に内閣官房および公取委が連名で公表したものです。同指針は、多くの場合は発注者の方が取引上の立場が強く、受注者が労務費の価格転嫁を言い出しにくい状況から、事業者に対して、まずこの状況を明確に認識するよう求めています。

 その上で同指針は、以下の囲みの通り、労務費の転嫁に係る価格交渉について、発注者および受注者のそれぞれが採るべき行動/求められる行動を12の行動指針としてまとめています。

発注者として採るべき行動/求められる行動
 ①本社(経営トップ)が関与すること
 ②発注者側から定期的に労務費転嫁について協議の場を設けること
 ③受注者に説明・資料を求める場合は公表資料とすること
 ④サプライチェーン全体での適切な価格転嫁を行うこと
 ⑤要請があれば協議のテーブルにつくこと
 ⑥必要に応じて労務費上昇分の価格転嫁に係る考え方を提案すること

受注者として採るべき行動/求められる行動
 ①国・地方公共団体の相談窓口などを活用すること
 ②価格交渉において使用する根拠資料として公表資料を用いること
 ③適切なタイミングで自ら発注者に価格転嫁を求めること
 ④発注者から価格を提示されるのを待たずに自らも希望する額を提示すること

発注者・受注者の双方が採るべき行動/求められる行動
 ①定期的にコミュニケーションをとること
 ②価格交渉の記録を作成し、発注者と受注者の双方で保管すること

労務費指針に対応するポイント

 上記の労務費指針の示す行動指針のうち、特に注意を払うべきいくつかについて、具体的な対応のポイントを示します。

<発注者としての行動➀ ~経営トップの関与>
 どのような法令に対するものであっても、コンプライアンス対応の第一歩として、まずは経営トップの関与が求められます。労務費指針もその例外ではなく、取引上の立場が強い場合が多い発注者の経営トップに対して、労務費の上昇分について取引価格への転嫁を受け入れる取り組み方針を決定し、社内外に示すことなどを求めています。

<発注者としての行動③ ~公表資料>
 公取委が行った特別調査では、受注者からの労務費の転嫁の求めに対し、発注者がコスト構造を明らかにする説明や資料の提出などを求め、これを明らかにしたくない受注者は転嫁の要請を断念したという事例があったそうです。

 上記の例などにより労務費指針は、発注者としての行動③:発注者が受注者に説明・資料を求める場合は、公表資料とすることを求めています。ここでいう「公表資料」の具体例として、最低賃金の上昇率や春季労使交渉の妥結額・上昇率を示す資料などを挙げています。発注者は受注者に対して、交渉の過程で過度に詳細な労務費上昇の説明や根拠資料を求めないように注意する必要があります。

 なお、発注者としての行動③を受けて、受注者としての行動②では、価格交渉において使用する根拠資料として公表資料を用いるべきと示しています。

<受注者としての行動➀ ~相談窓口などの活用>
 公取委の特別調査では、発注者のみならず受注者にも、労務費上昇分は自社の生産性や効率性向上により吸収すべきとの考えがあり、発注者と交渉する必要があるという問題意識を持ちづらいとの声があったようです。しかし、物価に負けない賃上げを行うためには、生産性・効率性向上のみでは対処しきれないと思われます。受注者としても積極的に発注者と交渉する必要があります。こうした考えの下で労務費指針は、労務費上昇を理由とする価格転嫁交渉にどのように臨めばよいか戸惑う受注者に、相談窓口の活用を促しています。

 相談窓口は国・地方公共団体の窓口の他、中小企業の支援機関(全国の商工会議所・商工会など)の窓口などがあります。具体的な連絡先などは公取委のWebサイトにある労務費指針のページで確認できます。

<受注者としての行動③ ~価格転嫁を求めるタイミング>
 労務費指針は発注者に対して、定期的に労務費転嫁について協議の場を設けるよう求めつつ(発注者としての行動②)、受注者からも労務費転嫁の交渉を申し出やすいタイミングを捉えて、交渉を行っていくべきと示しています。

 交渉タイミングの例として、ⅰ)発注者の会計年度に合わせる、ⅱ)定期の価格改定や契約更新に合わせる、ⅲ)最低賃金の引き上げ幅の方向性が判明した後、ⅳ)受注者の交渉力が比較的優位であると思われる発注者の業務の繁忙期、といった例が示されています。

労務費指針と独占禁止法・下請法

 転嫁円滑化施策パッケージを受けて、公取委は、独占禁止法・下請法の執行強化を図っています(前編参照)。公取委は、労務費指針の示す12の指針に沿わないような行為によって公正な競争が阻害される恐れがある場合は、同様に独占禁止法・下請法に基づき厳正に対処すると宣言しています。

 さらに公取委は、受注者が匿名で、労務費の価格転嫁協議のテーブルにつかない事業者などに関する情報を提供できるように、「労務費の転嫁に関する情報提供フォーム」を設置しており、各種調査に活用すると明らかにしています。

 労務費指針や公取委の取り組みについて、経営トップはもちろん、交渉現場の担当者にも十分に理解を浸透させなくてはなりません。研修を実施し、継続的に啓発するなどの取り組みが重要になるでしょう。

執筆=植松 勉

日比谷T&Y法律事務所 弁護士(東京弁護士会所属)、平成8年弁護士登録。東京弁護士会法制委員会商事法制部会部会長、東京弁護士会会社法部副部長、平成28~30年司法試験・司法試験予備試験考査委員(商法)、令和2年司法試験予備試験考査委員(商法)。主な著書は、『会社役員 法務・税務の原則と例外-令和3年3月施行 改正会社法対応-』(編著、新日本法規出版、令和3年)、『最新 事業承継対策の法務と税務』(共著、日本法令、令和2年)など多数。

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