ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
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群雄が割拠する戦国時代。それを生き延びるために重要だったのは、武力だけではありません。刻々と状況が変化する中で、誰と同盟を組むか。誰との同盟を解消するのか。この政治的な判断が、武将の運命を大きく左右しました。
勇将として知られながら29歳の若さでこの世を去ることになった浅井長政の生涯も、この判断で大きく動かされました。
長政は1545年、北近江(現・滋賀県)の領主・浅井久政の嫡男として生まれました。その頃、近江は六角氏が支配しており、浅井氏も六角氏に従属する形になっていました。浅井久政は六角氏との関係を保とうとしていましたが、浅井氏の家臣の中から六角氏の支配に不満を持つ者が出始めます。そして独立を果たすべく、長政を推戴(すいたい)して六角氏に対してクーデターを企てます。
浅井家の独立派と六角義賢は1560年、近江の野良田(のらだ)で相対します。義賢率いる六角軍は2万5千に対し、浅井長政率いる浅井軍は1万1千。倍以上の差がありました。しかし、兵力で圧倒的に不利なこの戦いにおいて浅井軍は勝利を収め、長政は武将として名を挙げます。長政はこの時わずか15歳。若き勇将の誕生でした。
近江で六角氏に代わる地位を築くようになった浅井氏に対し、尾張(現・愛知県)から美濃(現・岐阜県)へと勢力を伸ばしていた織田信長が同盟の締結を提案します。信長は、尾張、美濃から京都に上洛する際の経路として、近江を押さえておきたかったのです。
信長は妹・お市を長政に嫁がせ、結婚費用はすべて織田氏が持つという条件を出すほどでしたから、何としても同盟を結びたかったようです。この提案に対し、浅井家の意見は分かれました。なぜなら、越前(現・福井県)の朝倉氏との関係があったからです。
浅井家は、長政の祖父である亮政の代から朝倉家の庇護(ひご)を受けており、長年の恩があります。一方、織田家は朝倉家と敵対しています。信長と同盟を結べば浅井・朝倉両家の関係が悪化することは、容易に想像がつきました。
勢力を伸ばしている信長と組むか、朝倉家との関係を重視して同盟を組まずにおくか。結局、浅井氏は両方に配慮した決断を下します。織田家が朝倉家と戦わないことを条件に、信長と同盟を組むことにしたのです。そして、長政は戦いを重ねる中で近江から六角家の影響を排除、武将としての力を見せ、勢力を伸ばしていきます。
一方、天下統一を狙う信長は1568年に上洛を果たし、足利義昭を将軍として推戴。義昭に従うよう、諸国の武将に要求します。将軍の権威を利用して、自らの足場を強固なものにしようと信長はもくろんだわけです。信長と敵対する朝倉義景にとって、この要求は面白くありません。信長に対して反発を強めます。両者は対立を深め、信長は朝倉攻めを決断。越前に向かい、金ヶ崎城にいる義景を攻め立てました。
ここで浅井家は再び紛糾します。同盟を結んだときの「朝倉氏と戦わない」という約束を信長は破ったからです。果たして信長との同盟を維持するか。それとも、信長との同盟を破棄し、昔からの恩義がある朝倉家に付くか。約束を破った信長に対する不信感が、浅井家の中で募っていきました。長政がたどり着いた結論は同盟の破棄。長政は軍を率いて金ヶ崎に向かいます。
信長は、長政が攻めてくるとは思っていません。背後から長政の軍に攻められ、目前にしている朝倉軍との間で挟み撃ちになった信長は、即座に京都に撤退。信長は長政のことを信頼しており、長政が攻めてきたということが最初は信じられませんでした。そのことが確実になったとき、信長は激怒としたといわれています。
これ以降、長政は信長と完全に対立。戦いを繰り広げていきます。1570年、近江の姉川で浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が激突。浅井・朝倉軍は大敗を喫します。さらに近江で戦いを重ねますが、長政は苦戦を強いられます。また、家勢の衰えとともに家臣の寝返りがあり、長政は追い詰められていきました。
そして1573年、浅井の本拠である近江の小谷城に織田軍が攻め上がります。このときの長政には、信長の攻めに持ちこたえる力は残っていません。長政は長男の万福丸を逃し、妻のお市の方を兄の信長が率いる織田軍に引き渡します。そして、長政は自害。29歳という若さでした。
このように長政の運命を大きく左右したのは、武将として強さではありませんでした。朝倉への恩か、信長との同盟関係かどちらを重視するかの判断にあったことは間違いないでしょう。
長政の足跡を見ていると、現代のビジネスにおける経営者の判断の重要性を思い起こさずにはいられません。中小企業はもちろん大企業でも、企業活動は単独では成立しません。取引先、アライアンス相手の選択が経営者に課せられた重要な仕事です。
取引先が大きく発展したり、アライアンスによって企業間でのシナジーを生んだりして事業が伸びることもあります。一方、取引先の倒産、企業文化や経営ビジョンの違いから、アライアンスが事業の足を引っ張ることもあり得ます。
もちろん、長政の例と重ねて、古くから付き合いのある企業との関係か、勢いのある新興企業との取引やアライアンスで悩むこともあるでしょう。ともすれば、急激に伸びている新興企業であっても、ひょんなきっかけから勢いを失うことは少なくないからです。
ビジネスにおいてはさまざまな規格が生まれ、優劣を競う中で企業同士がアライアンスを組みながら市場を発展させていくケースがあります――例えば、ビデオレコーダーのベータマックスとVHSによる規格対立競争などが有名。その際に「勝ち組」に入れるかどうかは最終的には経営者の判断にかかっているのです。大局観と長期的な視点を持って、取引先やアライアンス相手を選ぶ経営者の能力の重要性を、猛将・長政の足跡は教えてくれているように思います。
【T】
戦国武将に学ぶ経営のヒント