ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
新年明けましておめでとうございます。
三が日を過ぎ、1月11日は正月の間にお供えしていた鏡餅を下ろしていただく鏡開きでした。社業の発展と社員の健勝を祈り、伝統的にこの行事を行っている会社も少なくないのではないでしょうか。この鏡開き、実は戦国武将と深い関わりがある行事です。そのいわれを見ていくことにしましょう。
日本における餅の歴史は古く、稲作の伝来とともに餅を食する文化も入ってきたといわれています。
日本には古来、モノに神や霊が宿るという考え方があります。餅は稲の精霊である稲霊(いなだま)が宿る特別な食べ物としてあがめられ、五穀豊穣(ほうじょう)を願って神様に供えられるようになりました。
この餅が、毎年正月に家々を訪れる歳神(としがみ)に供えるものになります。歳神を家に迎え入れるために門松を飾り、訪れた歳神に鏡餅を供えるのが習慣として根付いていきました。この餅が鏡餅と呼ばれたのは、一つは丸い形をしていたため。また、三種の神器の1つに鏡があるように鏡が太陽と同一視され、神聖なものとして見られていたことからと考えられています。
その後、室町時代になると武家社会の中で鏡餅が普及しました。ただし、武家では供える対象が歳神から変わります。
武家では、よろいを飾って祝いごとをする風習がありました。武家では先祖の霊力がよろいかぶとに宿ると考えられ、見事な戦果を挙げた先祖や討ち死にした先祖の霊力がよろいかぶとに宿り、子孫を守り、武運を授けるとされたのです。
そこで武家では床の間に具足(よろいかぶと)を飾り、具足に鏡餅を供えました。そのため、鏡餅は具足餅、武家餅という呼び方もあります。現代では男の子の健やかな成長を願って5月の端午の節句によろい飾りをしますが、この習慣はもともと武家が正月に行っていたものだったのです。
鏡餅は1月の中旬まで供えておき、20日に「刃柄(はつか)の祝い」を行い、具足から下げていました。武家では刃物で切るのは切腹を連想させて縁起が悪いとされたため、鏡餅は木づちを使って細かく割り、雑煮などにして食しました。これが鏡開きの始まりです。現代でも鏡開きで餅を雑煮や汁粉にして食しますが、これは武家で行われていたこととまったく同じなのです。
江戸時代に入ると、鏡開きの形式が整えられていきます。
江戸幕府では、鏡開きを「刃柄の祝い」ではなく「具足祝い」と呼びました。これは、三代将軍家光が4月20日に亡くなったため。鏡開きはそれまで1月20日に行っていましたが、家光の命日である20日を避け、大名の米蔵開きの日である1月11日に行うようになりました。刃柄(はつか=20日)には行わなくなったため、具足祝いと改められました。この11日に行う伝統が、今に至るまで引き継がれています。
江戸幕府では毎年正月、江戸城黒書院の床の間に家康愛用の「歯朶具足(しだぐそく)」や刀などを飾り、そこに具足餅を供えました。かぶと前面の前立の部分が歯朶(しだ)の葉をかたどっているので、歯朶具足と呼ばれています。
関ヶ原の戦いの前のある晩、家康が大黒天の夢を見ました。家康はこの夢から大黒天がかぶる頭巾のような形のかぶととよろいを甲冑(かっちゅう)師に作らせ、関ヶ原の戦いに臨みました。これは徳川家にとって勝利につながった非常に縁起のよいよろいかぶとで、具足祝いのときに飾られるようになりました。
江戸城の具足祝いでは、祝いの膳を食した後、譜代大名や諸役人が将軍に拝謁し、酒と餅が下賜されました。尾張徳川家初代・徳川義直は正月の具足祝いの儀式のために毎年具足を新調し、多くの具足を所有していたといわれています。
玄関や社長室などに創業者の像、遺影を飾っている会社もあるかと思います。これは創業者の意志を受け継ぐとともに、創業者の見えない保護を受けたいとの願いがあってのことではないでしょうか。先祖が愛用していたよろいかぶとを飾り、そこに供えていた餅を食することで先祖の霊力にあずかろうとする武家の鏡開きも、願いの部分は共通しているように思われます。
戦国時代から続く日本の習慣である鏡開きを機に、会社をつくり、受け継いできた先達に改めて思いをはせるのもいいかもしれません。
【T】
戦国武将に学ぶ経営のヒント