戦国武将に学ぶ経営のヒント(第92回) 戦国武将の内面を「和歌」で垣間見る

歴史・名言

公開日:2023.01.19

 1月18日、新年恒例の「歌会始の儀」が行われます。ここでは、天皇、皇后両陛下、皇族方の御製の和歌とともに、一般から応募のあった1万5005首から選ばれた和歌が披露され、新年を言祝(ことほ)ぎます。

 和歌は、『古事記』でスサノオノミコトが詠んだと記されている「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」がその始まりといわれ、いにしえの時から日本人の心を映してきました。

 和歌は漢詩とともに武士が身につけるべき素養のひとつとされ、多くの武将が歌を残していますが、中でも歌詠みとして知られるのが武田信玄です。子供の頃から和歌に親しんでいた信玄は、長じてからも和歌に熱中し、京都から公家を招いて頻繁に歌会を催すほどでした。

 信玄は、多くの歌を残しています。その一首が、「軍兵は 物言はずして 大将の 下知聞く時ぞ いくさには勝つ」。兵卒が何も言わずに大将の指図を聞くとき、勝ち戦になる、という意味です。

 大将の指図に納得がいかないと、兵卒は疑問を呈したり、不満を述べたりします。また、大将に信頼がないときにも、同じようなことが起こり得ます。信頼できる大将が納得できる指図を行えば、兵卒が黙ってそれに従う。そうすれば軍の意思が統一され、戦に勝つ確率が上がるというわけです。

 逆にいえば、大将の信頼が薄く、指図をしても兵卒が疑問を呈したり、不満を述べたりして意思が統一されていないと、負け戦を覚悟しなければならなくなるかもしれません。

 これは、現代のビジネスにも通じるところがあるように思われます。部や課、プロジェクトのリーダーが指示を出したとき、スタッフが何も言わずにそれを聞いたときは、リーダーに信頼があって意思統一がなされていることが少なくありません。もちろん、不満や疑問を表に出せないようなコミュニケーション不全が起こっているケースは別ですが、リーダーの指示をスタッフが何も言わずに理解でき、チームが一枚岩になっていれば、仕事がうまくいく確率はおのずと上がります。

 信玄が詠んだのは、戦に関する和歌だけではありません。信玄の作には、このような歌もあります。「誰も見よ 満つればやがて 欠く月の 十六夜ふ空や 人の世の中」。「十六夜ふ」は、ためらう、たゆたうを意味する「いざよふ」に掛かっています。「見なさい。十六夜(いざよい)の月がたゆたっている。人の世も、満ちれば欠けていていく月と同じように無常なものだ」といった意味でしょうか。常に移り変わる人の世の中に対する、信玄の感懐が表れています。甲斐の虎との異名をもち、豪放磊落(ごうほうらいらく)なイメージのある信玄ですが、このような繊細な感性も持ち合わせた人物でした。

 現代はおそらく、信玄の頃より世の中が変化するスピードが速くなっている時代。世の中は「満つればやがて欠く」ことを肝に命じておくべきかもしれません。

天下人・織田信長が詠んだ内省の和歌

 天下人・織田信長は茶道に熱をあげ、和歌にはそれほど入れ込まなかったと言われていますが、実は印象的な歌を詠んでいます。そのひとつが、「うらみつる 風をしつめて はせを葉の 露を心の 玉みかくらん」。「はせを」は、多年草のバショウのこと。「うらみつる風」を世の中に吹く風と捉えると、「世に吹くあしき風を鎮めて、バショウの葉に宿る露のように清らかに己の心を磨こう」といった意味になります。

 しかし、この歌の「うらみつる風」は、自分の心の内に吹く風と見ることもできます。そうすると「世を、人を恨む気持ちを静めて、バショウの葉に宿る露のように清らかに己の心を磨こう」となり、ときに冷酷な手を打って天下人にまで上り詰めた信長が自らの内面を省みる、新たな側面が見えてきます。

 江戸幕府の祖となった徳川家康も特に和歌を好んだ形跡はありませんが、歌を詠むたしなみはやはり持ち合わせていました。「怠らず 行かば千里の 果ても見む 牛の歩みの よし遅くとも」は、「牛の歩みのように遅くても、怠らずに進めば千里の果ても見ることができるだろう」といった意味。「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」の狂歌でも知られる家康らしい忍耐、地道な努力がしのばれる歌です。

 また家康は、武田勝頼と交えた長篠の戦いの頃にはこのような和歌を詠んでいます。「ころは秋 ころは夕ぐれ 身はひとつ 何に落葉の とまるべきかは」。「秋の夕暮れに舞う落ち葉は、どこに落ちるのだろうか。落ち葉のように身ひとつの私も、どこに向かうのだろうか」と嘆ずる歌と見ることができます。家康は徳川260年の礎を築き、武将としての頂点に上り詰めたともいえる人物ですが、このような不安を抱えて生きていたことがうかがえます。

 現代も作歌にいそしむ歌人は少なからずいますが、武将たちが生きた時代のように和歌をつくることが教養のひとつと見なされる風潮は弱くなっているかもしれません。現代のビジネスパーソンが自己表現する手段としては、SNSが非常に身近になっています。

 SNSは多くの他者と瞬時につながることができる、非常に便利なツールです。ただ、社会事象に対する自分の意見を表明したり、仕事やプライベートでの身辺雑記をシェアしたりすることが多く、自分の内面を見つめる機会に必ずしもならない傾向があります。

 和歌は古来、花や風景などに自分の心情を重ね、詠み込んできました。そこには、静かに自分の内面を見つめ、内観する姿勢があります。

 和歌は戦国武将が身につけるべき教養のひとつでしたが、それだけではこのように多くの歌が詠まれることはなかったでしょう。深謀遠慮が渦巻き、情勢が大きく変化し、戦でいつ命を落とすかわからない戦国の世において、自分の内面を静かに内観する時間を武将は必要としたのではないでしょうか。そして、それは激動の時代を迎えた中で多くの判断をしなければいけない現代のビジネスパーソンにも必要なことのように思われます。

【T】

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