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NHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、新型コロナウイルスの影響により収録ができず、6月7日の第21回「決戦!桶狭間」を最後に放送が休止されています。しかし、6月30日から収録が再開されたとの発表がありました。放送の再開時期は収録の状況によるとのことで未定ですが、続きを楽しみにしている大河ドラマファンの方も少なくないことでしょう。
休止前の最後の放送「決戦!桶狭間」は、尾張国(現・愛知県)に侵攻した今川義元を織田信長が討ち取った桶狭間の戦いを取り上げたものでした。この回で印象的だったのが、迫力満点の桶狭間の戦いの描写とともに、戦に臨む前に信長が謡(うたい)を謡ったシーンです。
この謡は、幸若舞(こうわかまい)の一節です。幸若舞は室町時代初期に始まった舞の一種で、特に戦国武将の間で好まれました。例えば朝倉孝景は、出陣の際に幸若舞を舞わせて軍を鼓舞しました。また、豊臣秀吉は小田原征伐の最中に幸若舞を鑑賞していますし、自分を題材にした幸若舞の曲をつくるように命じるほどでした。徳川家康は幸若舞を保護し、幕府の式楽(しきがく)としています。
信長が好んだのが、幸若舞の「敦盛」の一節です。題の敦盛とは、平敦盛のこと。平安時代末の治承・寿永の乱(源平合戦)において、平家の軍勢は摂津国福原(現・兵庫県神戸市)に陣取ります。源義経は、一ノ谷で平家の陣を急襲。この有名な「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」で義経は平家の軍を敗走させ、屋島に追い詰めました。
この一ノ谷の戦いで、平家の若武者・平敦盛を討ったのが源氏方の猛将・熊谷直実(くまがい なおざね)でした。直実は組み伏せた敵方の武者が、まだ数え年で16歳にしかならない敦盛であることを知ります。直実は戦いの中で、自分の嫡男である直家を亡くしたばかり。息子と同い年の敦盛を前にして、直実は討つことをちゅうちょします。しかし、直実が手を下さないことを周囲の源氏方の諸将が訝(いぶか)しみ、直実は仕方なく敦盛の頸を討ち取りました。
無常を感じた直実は、世をはかなみ、戦いの後に出家を決意します。これが幸若舞敦盛の粗筋です。嫡男の直家は戦いの中で深手を負っただけで命を落としていないなど史実と異なるところもありますが、直実は実際に出家し、法然の弟子となりました。
信長が好んだのが、この敦盛の後半に出てくる次の一節です。
人間五十年
下天のうちを比ぶれば
夢幻の如くなり
一度生を得て
滅せぬもののあるべきか
下天(げてん)というのは、仏教における天上世界の1つ。下天では、1日の長さが人間世界の50年に相当するとされています。人間が生きる50年ほどの時間は、下天ではたった1日にしかすぎない夢か幻のようなものだ。一度生を得て、死を迎えないものはない――。おおよそこのような意味になります。
信長はこの一節をよく口ずさんでいたことが、「信長公記(しんちょうこうき)」にも記されています。同書は、信長の側近だった太田牛一(おおた ぎゅういち)が書いたもの。後世につくられた書物で、創作が少なからず混ざっている軍記物とは異なり、史料としての信ぴょう性が高いとされています。桶狭間の戦い前夜にこの一節を謡い舞ったというのも、「信長公記」に書かれていることです。
「人間五十年」と謡うとき、信長の胸中にあったものは何だったのでしょうか。1つには“生”の短さを確認する意味があったと思われます。信長は、戦が続き、いつ命を落とすか分からない状況で生きていました。人生はいずれにしても短いものだ、いつ命を落としても惜しくない。そのように言い聞かせていた部分もあるでしょう。
しかし、この一節からは別の世界も見えてきます。一度生を得て、死を迎えないものはない。ならば、思い切って生きてみようか――という境地です。信長は、尾張の一領主から天下統一という大仕事を描いて人生を疾走した人物でした。その背景には、短く限りのある人生なら、大きな仕事を成し遂げるべく生きようという痛切な思いがあったのかもしれません。
信長の時代からは寿命が長くなったものの、現代を生きる私たちの人生もやはり短く、限りあるものであることには変わりません。ならば、満足いく仕事をすべく力を尽くそうではないか。幸若舞の敦盛の一節を謡う信長からは、そんなメッセージを受け取れるように思います。
もちろん、私たちの人生は、仕事だけで成り立っているわけではありません。ワーク・ライフ・バランスということがいわれるように、プライベートの時間も大切な人生の要素です。しかし、同時に仕事時間の充実を図っていくことも、ワーク・ライフ・バランスを考えるうえでは重要なのではないでしょうか。仕事もプライベートも両方、満足できる生き方をめざしたいものです。
【T】
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