ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
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私たちは水性のペンのことを「サインペン」と呼んでしまうことがあります。しかし、「サインペン」は一般的な名称ではなく、商品名です。「サインペン」は、ぺんてるが1963年に発売を開始し、累計で20億本以上を売り上げているロングセラー筆記具です。
ぺんてるの前身である大日本文具の創業は、1946年。文具の卸売りから事業を始め、クレヨンなど絵画用の画材の製造に事業を拡大。そして1960年にはノックシャープペンシル「ぺんてる鉛筆」、油性ペン「ぺんてるペン」を発売し、筆記具の市場に参入します。
太い字しか書くことができなかった従来の油性ペンとは異なり、細い字が書ける「ぺんてるペン」は好評を得ましたが、少し使いにくいところもありました。プラスチックなどに書くぶんには問題がありませんが、紙に書くとインクがにじみ、文字が読みにくくなってしまうことがあったのです。ハガキの宛名書きをした際には、裏までインクが染み通ってしまい、裏面に文字が書けなくなることもありました。
油性インクを使っている限り、こうした問題の解決は困難だと考えたぺんてるは、水性インクを使ったペンの開発をスタートさせます。ただ、求められる構造が油性ペンとは異なり、開発は難航しました。
ぺんてるでは、アクリル繊維を熱で固め、筆の形に削ってペン先を作っていました。細い字も書けるようにするためペン先にはある硬度が必要です。しかし、硬度を上げ過ぎると油性インクは流れず、字が書けなくなってしまいます。逆にペン先の硬度を下げ過ぎると、粘度が低い水性インクは出過ぎてしまいます。高い硬度を保ちつつ、適度にインクが出るようにしなければならなかったのです。
そこで開発スタッフは、アクリル繊維の間に細かな隙間ができるようにして、硬く固めたペン先に毛細管現象でインクが流れるようにしました。インクの粘度も、ペン先の硬度と構造に合わせ、適度に流れるように細かな調整を繰り返しました。こうした開発は8年にもわたり、ようやく1963年に世界初の携帯用水性ペン「ぺんてるサインペン」を発売しました。
「サインペン」は利便性の高いものだったものの、発売当初はあまり注目されませんでした。ブレークのきっかけになったのは、米国シカゴで行われた文具国際見本市への出展です。ここで配布した「サインペン」のサンプルが、当時のジョンソン大統領の報道官の目に留まります。報道官が使っているのを目にしたジョンソン大統領自身がその使いやすさに気付き、「サインペン」を24ダース注文したのです。これを米国の新聞や雑誌が大きく取り上げました。
さらに、有人宇宙飛行計画「ジェミニ」で使用するペンとしてNASAが公式に「サインペン」を採用します。毛細管現象を利用しているため無重力空間でもインク漏れせず書くことができる点が評価されたためです。こうして「サインペン」はまず米国で評判となり、その情報が伝わって、日本でもヒット商品になりました。
ある商品がロングセラーになるためには、短期的にヒットするだけでは十分ではありません。商品がヒットすると、必ずといっていいほど類似商品が登場します。こうした類似商品との競争に勝つことが、ロングセラー商品誕生の条件になります。
「サインペン」では、製造技術の中に類似商品との差別化を図る要素が織り込まれていました。ペン先の硬度と構造に関する工夫にはすでに触れましたが、ペンの軸の中でインクをペン先に伝える中綿についてもアクリル繊維の向きと密度について細かな調整がなされています。
「サインペン」は、ペン先付近に小さな穴が開いていることにお気付きでしょうか。これはインク漏れを防ぐためのもの。ペンを使っていると、手のひらから伝わる温度によってペンが温まってきます。そうするとペン軸の中の空気が膨張して気圧が上昇し、インク漏れが発生する原因になります。小さな穴を開けることでペン軸内の気圧を外の気圧と均衡させ、インクが漏れないようにしているのです。「サインペン」にはこうしたさまざまな小さな工夫が盛り込まれています。
類似商品への対策のため、「サインペン」のデザインにも工夫を凝らしました。当時、ペンは丸形が主流でしたが、「サインペン」はペン先のほうが丸形で、後部は丸みを帯びた六角形になっています。これは手にフィットする形状で、かつ机に置いたときにも転がりにくいという実用性とともに、特殊な成型によって作るためまねがしにくいという側面があります。
開発陣が予想した通り、「サインペン」がヒットすると類似商品がいくつも市場に出回りましたが、書き味は「サインペン」に劣り、形状も異なるものばかりです。水性ペン市場は「サインペン」の独壇場となり、50年以上にわたって売れ続けるロングセラーになっていきます。
市場では、必ずしもオリジナルの商品が勝つわけではありません。優れた類似商品が出れば、そちらが大きくシェアを取ることは往々にしてあります。水性ペンという新たな市場で先陣を切っただけではなく、簡単にまねできない技術を商品に織り込んだことが、「サインペン」をロングセラーへと導きました。
執筆=山本 貴也
出版社勤務を経て、フリーランスの編集者・ライターとして活動。投資、ビジネス分野を中心に書籍・雑誌・WEBの編集・執筆を手掛け、「日経マネー」「ロイター.co.jp」などのコンテンツ制作に携わる。書籍はビジネス関連を中心に50冊以上を編集、執筆。
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ロングセラー商品に学ぶ、ビジネスの勘所