ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
デジタル化の推進、新型コロナウイルス感染拡大によるテレワーク導入の増加で“脱ハンコ”の流れが生まれています。それを加速するように、河野太郎行政改革担当相が「9割以上の行政手続きでハンコの使用を廃止できる」と述べ、ハンコをめぐる論議がますます盛んになっています。
逆にいえば、国の政策として真剣に取り組まねばならないほど、日本人の生活にハンコは深く浸透しています。もちろん、ビジネスシーンにおいても重要な役割を果たしてきました。そして、ビジネスパーソンに親しまれているハンコといえば、1965年に発売が開始されたシヤチハタの「Xスタンパー」、通称“シヤチハタ印”です。ビジネスパーソンの机の中、カバンの中には必ず1本は入っているのではないでしょうか。
シヤチハタの前身である舟橋商会は1925年に名古屋で創業しました。創業者は舟橋高次とその兄金造です。高次は元々薬問屋で働いていました。薬問屋の仕事では、1日に何度も薬袋にスタンプを押します。しかし、その頃のスタンプ台はインキがすぐに蒸発してしまい、使うたびにインキをスタンプ台に染み込ませなければなりませんでした。
これでは不便だ、いちいちインキを染み込ませなくても使えるスタンプ台ができないものか──。こう考えた高次は、試作に取り掛かります。
そして試行錯誤を繰り返した末、空気中の水分を吸収するグリセリンを使い、インキが乾かないスタンプ台を開発。舟橋商会を設立し、「萬年スタンプ台」の販売を開始しました。シンボルマークは、地元名古屋の名古屋城天守に飾られた金の鯱(しゃちほこ)にちなみ、鯱の旗としました。
インキを補充せずに続けて押印できる萬年スタンプ台は、画期的な商品でした。また営業を担当した金造の努力もあり、萬年スタンプ台は徐々に浸透していきます。1941年には、シンボルマークの鯱の旗から社名を取り、舟橋商会をシヤチハタ工業に改組。戦後、シヤチハタはスタンプ台の代名詞的存在に成長します。
萬年スタンプ台はその利便性から多くのオフィスで使われ、シヤチハタ工業を支え続けました。しかし、高次の目は“もう一方の不便”に向くようになります。1950年代、日本が高度経済成長期を迎えると、企業の事務作業の量も飛躍的に多くなっていきました。事務職の社員は、1日に何枚もの書類に「重要」「済」「請求書在中」といったスタンプを押すことになります。萬年スタンプ台を使えば、いちいちスタンプ台にインキを補充する必要はありません。しかし、それでも、押印するためには1回1回スタンプをスタンプ台に押し付けインキを付ける必要はありますから、その手間すらも負担に感じられるようになっています。
これでは効率が悪い。スタンプ台が要らないスタンプを作れないものか──。再び、高次の試行錯誤が始まりました。
スタンプ台は、インキを付けるためにあります。スタンプ台をなくすためには、スタンプのゴムにインキを含ませ、押したときにゴムからインキがにじみ出てくるようにすれば、スタンプ台が要らなくなります。しかし、どうやってゴムからインキがにじみ出てくるようにするか。それが大問題でした。
高次は、インキがにじみ出るようにするためには、ゴムの中に細かい穴を無数に開け、そこをインキが通るようにすればいいのではないかと考えました。しかし、ゴムの中に細かい穴を開ける方法がなかなか見つかりません。ゴムの練り方から、試行錯誤を繰り返します。そして研究の末にようやくたどり着いたのが、ゴムを練る際に水溶性の物質を混ぜる方法でした。後からその物質を溶かせば細かい穴が開きます。
でんぷん、砂糖などゴムを練る際に混ぜるものをいろいろと試した結果、最適だったのは塩でした。塩の粒の大きさを調整して混ぜれば、穴の大きさを調節できます。穴の大きさを調節できれば、染み出すインキの量を適切に調節することができます。
こうして1965年、スタンプとインキが一体になった世界初のスタンプ台不要のスタンプ「Xスタンパー」を発売。3年後の1968年には、名前のハンコのように使える「シヤチハタ ネーム」を世に送り出しました。
当初は押した後にインキが薄くなるなどの問題が生じましたが、インキとゴムの改良により解決。Xスタンパーは日本中のオフィスで使われるようになりました。会社で使う認め印といえば、「シヤチハタ ネーム」を指すほどおなじみの商品となりました。Xスタンパーは現在、ネーム印だけでも累計の出荷数が1億8000万本を超えるほどのロングセラーになっています。
スタンプとインキを一体化させるというアイデアは、押印の利便性を高める画期的なものでした。しかし、シヤチハタ工業にとっては萬年スタンプ台という自社の既存看板商品の存在を否定するアイデアでもあったのです。
しかし、高次は「Xスタンパーのような便利なものがあるから押印業務が残るのであって、そうでなければ押印という文化はサインへと変わってしまう可能性がある」という信念を持っていました。誰もが疑問を持つことなくスタンプ台を使ってスタンプを押していたとき、高次は次代の押印のことを考えていたのです。
こうした次代の見通す力が、Xスタンパーというロングセラーを生んだといってもいいでしょう。この次代を見る目は、その後のシヤチハタにも受け継がれています。現在、脱ハンコの流れの中で電子印鑑が注目されています。シヤチハタはパソコンOS「Windows 95」が発売されるというニュースから印鑑の電子化を予見し、4半世紀前の1995年に電子印鑑システム「パソコン決裁」の提供を開始しています。現在、シヤチハタの電子印鑑システムはクラウド電子決裁サービスの「パソコン決裁Cloud」に進化しています。
便利な萬年スタンプ台からXスタンパー、電子印鑑システム、そしてクラウド電子決裁サービスへ。次代のニーズを読み解く力のリレーです。萬年スタンプ台という画期的な商品を生み出したのに甘えず、それを自ら否定する「Xスタンパー」を開発。そして、さらにその先へと挑むシヤチハタの姿勢は、製品開発に当たって大いに見習うところがあるように思います。
執筆=山本 貴也
出版社勤務を経て、フリーランスの編集者・ライターとして活動。投資、ビジネス分野を中心に書籍・雑誌・WEBの編集・執筆を手掛け、「日経マネー」「ロイター.co.jp」などのコンテンツ制作に携わる。書籍はビジネス関連を中心に50冊以上を編集、執筆。
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ロングセラー商品に学ぶ、ビジネスの勘所