ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
※文中に登場する「高松建設」「高松コンストラクショングループ」「高松孝育会長」「高松会長」の「高」はすべて「はしごだか」です。
金剛組会長・高松コンストラクショングループ社長 小川完二 氏
聖徳太子の命によって四天王寺を建立して以来、宮大工として社寺建築に携わってきた金剛組。1400年以上続く日本最古の老舗企業は、なぜ経営危機に陥ったのか。初めて非同族経営者として金剛組に入り、再生を手掛けた小川完二会長に聞く。
──日本最古の企業といわれる金剛組が経営危機に陥り、2006年に高松建設に営業権を譲渡しました。当時、高松建設の副社長だった小川さんは、金剛組に派遣され経営者として再建を任されました。
小川:自分自身、全く想定していませんでしたから、驚きました。
もともと私は、高松建設の前職で富士銀行(現みずほ銀行)にいて、最後の1年は債権回収を担当する常務でした。金剛組の財務状況は、ひと目見れば分かります。大赤字で再建は厳しい状況でしたから、これは大仕事だぞと……。
ところが、高松建設の高松孝育会長(当時)は「歴史と技術は、一度壊れると、元には戻れなくなる。せっかく長い歴史と素晴らしい技術が大阪にあるのだからもったいない」と、助けたい一心で支援を決めました。私も覚悟を決めて金剛組に飛び込み、以降約6年間、12年に現社長にバトンを渡すまで社長を務めました。
──金剛組は飛鳥時代、578年の創業以来、金剛家によって経営されてきました。1400年以上続いた理由は何でしょうか。
小川:まず、優秀な人間にしか家を継がせなかったことです。たとえ本家の嫡男であっても、能力や人望がないと判断されれば、早いうちに廃嫡し、次男や三男、あるいは遠縁から有能な人材を引っ張ってきました。一族全体で代々厳しい目で棟梁としての技とトップとしての能力を見極め、後継者を選んできたのです。
次に、1400年もの間、決してもうけ過ぎずに身の丈経営を続けてきた。金剛家の家訓にも定めてあり、いわば「偉大なる中小企業」を維持していたのです。
利益を追い求めるよりも、信頼を得ることのほうが大切だ、今の信頼こそが次の仕事につながるという意識が強かった。高い技術と顧客との関係性が、長期の存続を支えていました。
──それが「身の丈」から外れてしまったことで、救済が必要なほどの赤字を生んだということでしょうか。
小川:バブル後に何とか売り上げを維持しようと、高齢者施設などの一般建築にも手を出したことが赤字を招いた原因でした。
マンションなど民間の箱ものを手掛ける場合、価格競争になりがちです。ところが、もともと価格で勝負しておらず、競争力がないところに出て行ってしまった。無理に受注し、結果的に受注額を上回るコストがかかり、多額の借入金を抱えるケースが増えたのです。
それでも受注すればまとまった額の着手金が入りますから、それを取りに行っていた。文字通り自転車操業でしたが、オーナー経営者の不用意な経営に、気付く間もなく赤字は膨れ上がる一方でした。
──そのような中、小川さんは初めて非同族の経営者となりました。
小川:高松建設が乗っ取るのではという印象を社員は抱いていたと思います。
社員は経営難を一切知らされていませんでした。あまりに急なことでしたから、不安と放漫な経営に対する不信感が募り、怒りを直接ぶつけられたこともありました。
──経営体制の刷新に向け、社員の気持ちをどう切り替えていきましたか。
小川:まず、社員に「経営に望むことは何か」とアンケートで尋ねました。最も多かった回答が「経営の透明化」です。これを見てしめしめと思いましたよ。ある意味、一般企業で行われていることができていないと分かったからです。
それまで金剛組では、社内に経営情報を開示していませんでした。そこで、取締役会や業務執行会を開き、業績開示や部門ごとの進捗状況の確認などを進めました。全てオープンにすることで、社員も当事者意識を持てるようになりました。これは大きな変化でしたね。
例えば1本何百万円する大きな材木から部材を切り出す際も、以前はざっと加工して残りは捨てていたものを、無駄なく面取りするようになりました。質を落とさずに無駄を減らし、少しでも安くできれば競争力も付きます。
──高松建設の支援によって、財務的な変化はありましたか?
小川:借金を高松建設が引き受け、資金を低利で融資しました。すると、手形で3割増で買っていた材木などを現金でまとめて購入できるようになります。仕入れ値がずいぶん変わりましたね。
再建中は、交際費も政治献金もゼロにしましたよ。私自身、社員を5~6人ずつに分けて、全員と飲み会をしましたが、これも全て自腹です。150万円ほど払いましたから結構大変でした(笑)
でもその飲み代が経費として経理に回ってこないので、どうやら社長のポケットマネーらしいぞと社員が気付きました。そうなると私に対する見方も変わってきます。やっと身内になれたかなと感じたのは1年が過ぎた頃でしょうか。
──事業面で再建のポイントになったのは?
小川:「身の丈」を忘れて、苦境に陥ったのですから、寺、神社、仏閣以外は受注禁止だと高松建設の高松会長の指示がありました。
実は一度、私の旧客の好意で、マンションを建てたいという依頼があったのですが、会長に相談したら駄目だとキッパリ言われました。
社寺建築は誰もができる分野ではありません。金剛組の出番はここですから、多くを求め過ぎずに、限られた分野でトップを守っていきます。
──高松建設は、財政面だけでなく、金剛組の伝統を守る形で支援をしています。これも珍しいです。
小川:高松建設は来年100周年を迎える中堅のゼネコンで、オーナー企業です。1400年に比べればまだまだ歴史は浅いですが、目先の利益よりも中長期的な視点を持っていることは確かです。
再建を任された時から、M&Aでの利益や損益面での寄与についての議論は一切ありませんでした。
歴史はお金で買えません。高松建設は、金剛組を応援できるという幸せなチャンスに恵まれたのだから、お金で買えないネームバリューを得られる。技術継承のため、いかに経営体制を立て直すかに注力する姿勢でしたね。
──今後、金剛組では創業家と経営はどのような関係でいるのが望ましいでしょうか。
小川:君臨すれども統治せず、でしょう。金剛組に金剛家の人間がいることは、英国や日本の皇室のように象徴的存在として非常に大きい。社もまとまります。
実は昨年から、直系の20代の女性が金剛組に勤めるようになりました。これで宮大工たちもだいぶ気持ちが落ち着いています。
再建に入って以来、宮大工と会社との関係、お客様と宮大工との関係、四天王寺との関係は以前と何も変えていません。今後も変える必要はないと思っています。
一方で、ポジションを守るために、最先端の技術を取り入れることも必要です。そのために、数年前から建築の大学院を卒業した学生など、若手を積極的に採用し人材育成にも力を入れています。金剛組には、設計士が13~14人はいますが、社寺専門の設計士がこんなにいる会社は、ほかにはありません。
この先も、最先端の技術を入れ込みながら伝統の技を生かしていきます。
日経トップリーダー 構成/福島哉香
執筆=小川 完二(おがわ・かんじ)
1949年生まれ。鳥取県出身。京都大学経済学部卒業後、72年富士銀行(現みずほ銀行)に入行。横浜駅前支店長、審査第一部長、常務執行役員などを経て退職。2003年高松建設副社長に就任。06年金剛組社長に就任し、事業再生に取り組む。12年金剛組会長。高松コンストラクショングループ社長を兼務。
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