ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
2021年10月19日に開催された埼玉西武ライオンズ対北海道日本ハムファイターズの公式戦。懐かしい背番号18のユニホームに身を包んだライオンズの松坂大輔投手が観客の大声援の中、マウンドに向かった。
いつものようにマウンドの後方で一度立ち止まり、捕手のほうを見て、そしてゆっくりとマウンドに上がっていく。
脳裏には、23年前のプロデビュー戦の前に当時監督だった東尾修さんから掛けられた言葉が聞こえていたのかもしれない。
「後ろからマウンドに立てば、ミットが大きく見えるぞ」
対戦相手である近藤健介選手に対して投じた1球目は大きく浮き上がりボールとなった。2球目はストライク。3球目、4球目はボール。5球目はインコースに大きくはずれボールとなり、四球を与えた。
最速は118キロ。全盛期の投球とは比ぶべくもないが、引退会見で述べた「最後の最後、全部さらけ出して見てもらおう」という言葉に込めたファンへの思いが伝わってくる力投だった。
投げ終わった後は表情が硬かったが、周りにチームの仲間が集まってくるとようやく笑みが漏れた。
日本列島を肌寒い風が吹き抜け、秋が一気に深まったように思えた。松坂大輔がマウンドを去ったのだ。
現役を引退した彼だが、ここでは松坂投手と呼ばせていただきたい。多くの人にとって、松坂投手をめぐる記憶は、1998年の甲子園球場にまで遡るだろう。高校3年で150キロの球速を記録して大きな注目を集めた松坂投手は横浜高校のエースとしてチームに春の選抜高等学校野球大会の優勝をもたらした。夏の大会でも準々決勝で強豪のPL学園を延長17回の末に破る激戦で日本中を沸かすと、決勝戦でも京都成章高校を相手に実に59年ぶりという決勝戦でのノーヒットノーランを達成し、春夏連覇という偉業に大輪の花も添えてみせた。
翌1999年、松坂投手はドラフト1位で西武ライオンズ(当時)に入団した。日本中が注目したルーキーは、早速チームの4戦目のファイターズ戦で先発出場を果たす。先述したプロデビュー戦である。
最高の見せ場は早くも1回の裏にやってきた。オープン戦の打率5割と絶好調の強打者、ファイターズの片岡篤史選手をなんと155キロのストレートで尻もちをつかんばかりの派手な三振に仕留めてみせたのだ。そしてデビュー戦を白星で飾った。
オリックス・ブルーウェーブ(当時)戦でのイチロー選手との初めての対戦を覚えている方も多いだろう。5年連続首位打者に輝いたイチロー選手を3連続三振と完璧に封じ込めたのだから。
松坂投手は試合後のインタビューで有名な言葉を残した。
「自信が確信に変わりました」
自分はプロで通用する、と。通用するどころか、「平成の怪物」と称された童顔のルーキーは、デビューイヤーから16勝を挙げて最多勝利に輝くなど、規格外の活躍で日本のプロ野球史に名前を刻んでいった。
2007年、松坂投手は新たな目標を求めてアメリカのメジャーリーグに渡る。チームは名門ボストン・レッドソックス。今やメジャーリーグでは大谷翔平選手が注目の的だが、松坂投手のメジャー移籍をめぐるフィーバーも相当なものだった。
移籍契約が交わされる当日だったのだろう。こんな逸話が残されている。当時、北朝鮮をめぐる6者協議で注目されたヒル国務次官補は、ワシントンで行われていた記者会見の途中で、「マツザカはどうなった?」と突然話題を変えたのだという(『松坂大輔の直球主義』吉井妙子著を参照)。
全米の視線が自分に注がれている。そんな重圧を感じながらも、それを楽しむように、松坂投手はメジャーの強打者相手に投げ始めた。そしてメジャーデビューを果たしたその年に15勝を挙げ、チームの地区優勝、さらには進出したワールドシリーズの3戦目には勝利投手となった。続く4戦目でも勝利し、シリーズを制したチームの主力選手として松坂投手はワールドシリーズ制覇の美酒を味わうのである。
しかし、松坂投手が野球を楽しむボールパークの上空を次第に暗い雲が覆っていく。肩の故障をはじめとする身体の不調が顕在化していくのだ。
「それからは、そのとき、そのときの最善策を見つけるというそんな作業ばかりしていました」
(松坂大輔 引退会見より)
それでも思うような投球ができない。そうして松坂投手はアメリカと日本でいくつものチームを渡り歩きながら、身体の故障という観客のいない、歓声の聞こえない静かな闘いを続けながらキャリアの最終章へと歩みを進めていった。
「松坂世代」という言葉がある。主に1980年生まれの松坂投手と同じ世代の選手をさすが、松坂投手が引退した今、「松坂世代」は福岡ソフトバンクホークスの和田毅選手一人を残すのみとなった。
だが、ビジネス社会に目を転じれば、1980年生まれは組織の中核を占める世代の人たちだ。彼らはアスリートのように引退する年代ではなく、まだまだ先は長い。だからこそ組織内の「松坂世代」がこれからも活躍できるように、挑戦しがいのある仕事、キャリアにふさわしい権限の譲渡といった刺激の提供をお考えになってはいかがだろう。
引退試合の後、松坂投手がマウンドに向かいプレートに右手を添える画像を見た。キャリア後半はずっと故障に悩まされながら、「野球が好きなまま終われてよかった」と会見で語った人らしい、とても美しい、とても切ない姿だった。
執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)
ライター。
【T】
アスリートに学ぶビジネス成功への軌跡