ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
2020年8月、9月、世界を舞台に闘う日本人レーシングドライバーの活躍を報じるビッグニュースが飛び込んできた。
まず、8月23日に米国で開催された世界3大レースの1つ、インディカー・シリーズ第7戦の第104回インディアナポリス500マイルレース(通称インディ500)で佐藤琢磨選手が日本人選手初の快挙となった2017年の優勝に続き2度目の優勝を果たした。
そして9月19~20日にフランスで開催された同じく世界3大レースの1つに数えられる第88回ル・マン24時間レースでは中嶋一貴選手、セバスチャン・ブエミ選手、ブレンドン・ハートレー選手が駆るトヨタ8号車が1位でチェッカーフラグを受けた。中嶋一貴選手にとっては、実に3年連続のル・マン総合優勝である。
1980年代後半から90年代にかけてのF1ブームを背景にモータースポーツ全体の注目度が高まり、インディカー・シリーズやル・マンに象徴される世界耐久レースのファンも急増したが、それぞれのカテゴリーの頂点とされるレースで日本人ドライバーが次々と優勝する日が来ることを一体どれだけの人が想像したことだろう。
今回はその2人のうち、佐藤琢磨選手を取り上げたい。琢磨選手の驚異的なキャリアアップに興味を引かれたからだ。
レーシングドライバーは、子ども時代にレーシングカートを始め、ステップアップしていくのが普通だ。アイルトン・セナしかり、ミハエル・シューマッハしかり。日本人初のF1ドライバーである中嶋悟氏を父に持つ中嶋一貴選手も同様で、12歳の時にはカートレースに初参戦している。
それに対して琢磨選手がカートを始めたのは早稲田大学人間科学部の学生だった19歳の時。大学生が卒業後の進路をそろそろ考え始める時期に、彼はまったくの未経験者として自動車レースの世界に身を投じるのだ。いわばスターティンググリッドの最後尾からレーシングドライバーとしてのキャリアをスタートさせたといってもいいだろう。それにもかかわらず、わずか6年後の2002年には当時の目標であったF1のレギュラーシートを獲得したのである。
生まれて初めて生で見るF1。その空気を切り裂くようなスピード感と、身体が震えるほどのエグゾーストノートは、10歳の少年に強烈な印象を与えた
(GO FOR IT! 佐藤琢磨著)
自身の著書で琢磨選手は、1987年に日本で開催されたF1日本グランプリを鈴鹿サーキットで観戦した時のことをそのように振り返っている。レースキャリアをスタートさせたのは遅かったが、子ども時代に抱いたレースへの憧れは消えることがなかった。その青年が、ホンダと鈴鹿サーキットがレーシングスクールである鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-Formula)を開設したことを知る。
それがスタートの合図だった。同スクールに年齢制限ギリギリで応募。10倍の難関をくぐりぬけて合格し、主席で卒業。卒業後は全日本F3選手権(日本で開催されているフォーミュラカーレースの下位カテゴリー)に参戦するも、シーズン半ばに渡英し、若手ドライバーの登竜門であるジュニア・フォーミュラ参戦を経て、イギリスF3選手権にフル参戦。2001年には日本人初となるイギリスF3選手権チャンピオン獲得を足掛かりにF1へのステップアップを実現させた。
レーシングドライバーがこのように短期間で成功を収めるためには当然、ドライビングスキルに優れていて、速く走ることができ、レースに勝利できることを示す必要がある。その一方で、いくらドライビングスキルが高くても、性能が高い速いマシンで走ることができなければ勝てないのがレースの世界だ。
つまり、レースカーを運転する前に、どのようなレーシングチームに所属して走るのかという“環境づくり”からレーサーの勝負は始まっているのである。そして、環境づくりは、各ステップアップで必要になる。もちろん、レーシングチームに所属してからも環境づくりは必要になる。そのことに触れた琢磨選手の言葉を紹介しよう。
レーシングドライバーにとって何よりも大切なことは、自分を中心とした環境づくりをすることにある。どんな状況に置かれても、チームはドライバーを信頼し、ドライバーはチーム内で絶対のポジションを築き上げる。そうした関係が生まれなければ、ドライバーが本当の実力を発揮することはできない
(イギリスF3時代の佐藤琢磨選手の言葉)
レースごとに異なる条件の下、マシンを最高の状態につくり上げるために、ドライバーとして主張すべきことを主張する。たとえ前のレースで自分のミスによりリタイアしていたとしても臆せず堂々と意見を述べていく。22~3歳の若さで、しかも異国の地で、そうした姿勢が受け入れられるチームとの関係性の構築に取り組んだところに琢磨選手のレースへの情熱、勝つことへの強い意志が顔をのぞかせている。
同じような関係性を築いていくことは海外におけるビジネスの場でも必要なことは言うまでもないだろう。それには語学力や異文化への理解などが不可欠だ。琢磨選手は現地で英会話スクールに通いながら語学を習得したそうだが、現状ではコロナウイルスの影響により海外への渡航や留学が難しい。そうした時代に学生生活を送った人材の異文化コミュニケーションスキルをどのようにして高めていくか。今後、そうした課題に取り組んでいくことが企業には求められていくのでないだろうか。
琢磨選手は、憧れていたF1の舞台では目覚ましい数字を残すことはなかった。しかし、その先に求めたステージであるインディカー・シリーズでは、これぞ佐藤琢磨!というアグレッシブなレースで見る者をエキサイトさせてくれる。現在43歳。3度目のインディ500優勝はあるだろうか?ありそうだ。この人は勝つと決めたら勝つ。そう思わせてくれる人だ。
執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)
ライター。
【T】
アスリートに学ぶビジネス成功への軌跡