ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
網本麻里さんは小学校に入学する前からオリンピック出場を夢見ていたという。
2歳半から器械体操を始め、同じ大阪市出身で器械体操のメダリストである池谷幸雄さんが所属していた体操教室に通っていたこともあり、少女が器械体操でオリンピックに出たいと思うようになるのは自然な成り行きだった。
でも、その夢は小学校3年生の時にあっさり軌道修正されることになる。友人に誘われ、バスケットボールに出合い、たちまちこの球技に魅了されたのだ。すぐに小学生を対象としたミニバスケットボールを始めた網本さんは、バスケットボールでオリンピックに出場するという新しい夢を膨らませながら競技に熱中していく。
しかし、その夢をあきらめざるをえないような状況に直面することになってしまう。網本さんには生まれながらにして右足首の骨が変形する障害があった。その障害が悪化したために、中学校1年生の時、医師からバスケットボール(以下バスケ)を禁止されたのだ。
「その時はバスケができないと思ってずっと泣いて、毎晩泣いていたんですけど、私の母が、『娘がバスケをしている姿が見たい』って、どうにかしてバスケができないかと思ってくれたみたいで、その時に車いすバスケを見つけてくれて」
(【パラアスリートの言霊】車いすバスケ 網本麻里 より 2016年配信)
娘を思う母の一心が新たな競技との懸け橋となった。2人は大阪市の長居障がい者スポーツセンターで車いすバスケに出合い、そしてまた新たな目標に向けて歩む物語が始まった。
車いすバスケは、使用するコートやゴールリングの高さは一般のバスケと変わらない。ルールも「ダブルドリブルを反則にとらない」「ボールを持った状態で車いすを3回こぐとトラベリングになる」といった特徴的なルール以外、大半は一般のバスケットボールと変わらない。
そうした条件の下、競技用車いすを巧みに操作し、ボールを追い、スピーディーなパスワークでつなぎ、車いすがぶつかり合うような激しい攻防を繰り広げながらゴールを競う。
網本さんはこの車いすバスケのフィールドで目覚ましい成長を遂げ、16歳で日本代表に選ばれると、以後、代表メンバーとして、フォワードのポジションでチームをけん引してきた。2008年9月に開催された北京パラリンピックでは、日本チームは4位でメダル獲得はならなかったものの、自身は7試合で133得点し、得点王に輝いた。さらに2011年7月、カナダで開催された車いすバスケット女子U25世界選手権大会のメキシコ戦においては実に51得点を記録し、1試合得点の女子世界記録を樹立してみせた。
車いすに座った状態から放つシュートは、一般のバスケと比べ、必然的に遠いゴールを狙う形になる。シュートを放つ際の姿勢にも制約があるだろう。そうした条件をものともせず、時には車いすの片輪が浮いたような体制からシュートを決める。それを実現させているのは、卓越したボールコントロールの技術だろう。
その鮮やかなシュートをもうすぐ見ることができそうだ。東京2020大会の車いすバスケは8月25日から試合が開始される。本大会において網本さんは藤井郁美さんと共に日本代表チームの主将として参加することが決定している。
網本さんの歩みを振り返るとき、やはり車いすバスケを始めるという大きな転換のきっかけとなったお母さんのサポートに心を動かされる。
車いすバスケを始めてからも、練習や試合への参加費用、遠征費用など経済的な面でご家族の厚い支援があったそうだ。だからこそバスケに集中することができ、車いすバスケのトップクラスのポジションまで短期に駆け上がることができたという。その人の最大の理解者であり、支援をいとわない家族という存在はこの上なく頼りになる存在だ。
それはビジネス社会においても同じだろう。組織はそこに属するメンバーが事業や仕事の目的を共有し、同じ方向を向いて頑張ることでより大きな力が生まれるケースが多い。その目的を共有する輪が各メンバーの家族にまで広がれば、もっと力が湧いてくるだろう。
女子の車いすバスケはロンドンやリオデジャネイロで予選敗退を喫している。でも網本さんは明るく言い放っている。
「2大会出られていない日本が、世界一になったらメッチャかっこいいやん、そんな気持ちでやってやろうと思ってます」
(【パラアスリートの言魂】)
そうこなくては!頑張れ!ニッポン!
執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)
ライター。
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アスリートに学ぶビジネス成功への軌跡