アスリートに学ぶビジネス成功への軌跡(第36回) ジム・モリス 35歳でメジャー初登板したルーキー

人材活用

公開日:2021.06.15

 米国のメジャーリーグのチーム、タンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)の元投手であるジム・モリスの名は日本ではそれほど知られていないかもしれない。でも2002年の米映画『オールド・ルーキー』でデニス・クエイドが演じたメジャーリーガーだと紹介すれば、あの人物か、と思い出す方もおられるだろう。

 テキサスの田舎で高校教師をしていたジム・モリスは、35歳でメジャーリーグのトライアウト(入団テスト)を受けて、見事に合格。そしてマイナーリーグを経て、最年長のルーキーとしてメジャーリーグのマウンドに立つのだ。

 このジムの実体験をベースに製作された同作品のクライマックスは、何といっても1999年9月18日のテキサス・レンジャーズ戦だ。

地元テキサスの球場でメジャーデビュー

 ゲームが行われたのは当時レンジャーズのホームだったボールパーク・イン・アーリントン。それはジムが生まれ育ったテキサス州の球場だった。球場には彼の妻や3人の子どもをはじめ、高校の教え子、同じ町に住む大勢の人たちが駆け付けた。しかし当のジムは、前日にメジャーに昇格したばかりの自分に登板の機会が回ってこようとは思っていなかった。

 1対6とリードされた8回の裏、ブルペンの電話が鳴る。ジムに登板を命じる監督からの電話だった。

「ぼくですか」とわたしはきいた。「ほんとに?」みんなが笑った。
(「オールド・ルーキー 先生は大リーガーになった」ジム・モリス、ジョエル・エンゲル著/松本剛史訳)

 そして…。

ブルペンのゲートが開いた。わたしは小走りで出ていった、頭のなかで何万回も描いてきた場面だったが、想像とは違った。スタジアムはあまりに大きく、観衆のどよめきはまるで大砲の砲撃を思わせ、わたしの心臓はユニフォームを震わせるほどの勢いで早鐘を打っていた。
(同著)

 場面はツーアウトで迎える打者はオールスターの出場経験もあるロイス・クレイトン。一球目は外角低め、球速155キロのストレートだ。二球目も外角低めのストライク。三球目のストレートはファウルになった。4球目、球速158キロのストレートにロイスのバットが反応し、しかしスイングは途中で止まった。キャッチャーは一塁塁審にアピールした。

 ストライク・スリー!

 35歳のルーキーは劇的なメジャーデビューを果たしたのだ。

指導するチームメンバーに背中を押されて

 ジム・モリスは子どもの頃から非凡な運動能力を発揮し、バスケットボールやアメリカンフットボールで活躍するが、何より彼が愛したのがベースボールだった。メジャーリーガーになるという夢を抱いたジムは、19歳の時にはドラフトでミルウォーキー・ブルワーズに指名され、マイナーリーグでキャリアをスタートさせた。しかし、そこでは満足な成績を残せず、また腕の故障にも悩まされ、マイナーリーグを去った。

 その後の10年はジムにとって生活との闘いだった。結婚し、子どもが生まれる中で、暮らしを支えるためにいくつもの職を転々としながらも大学で学位を取り、ようやくハイスクールの理科の教職に就き、安定した生活を手に入れた。

 そのハイスクールでジムは野球チームのコーチに就任するのだが、そこに運命的な出会いが待っていた。野球チームは弱小で、選手たちにもやる気が見られなかった。そこである日、ジムは選手たちを前に言った。

きみたちがそろそろ知っておいたほうがいいのは、何事かをやり遂げるには夢が必要だってことだ。夢は持たなきゃいけない。
(同著より)

 そのジムに対して、選手の1人から意外な言葉が返ってきた。「コーチはどうなんです?」と。ジムは練習で見せるような速い球が投げられるのに、なぜ現役でやっていないのか?その意見にメンバー全員が賛同し、彼らはジムに提案する。チームが地区大会でプレーオフまで進出したら、コーチはメジャーリーグのトライアウトを受けてほしい、と。

 そして弱小チームは一丸となり、見事にプレーオフに進出してみせた。

 それは映画「オールド・ルーキー」の中でも心動く場面だ。プレーオフ進出を決めた勝利の後、ロッカールームでメンバー1人ひとりがジムの前まで歩み寄り、そして真剣なまなざしで言う。「コーチ、次はあなたの番だ」と。それが小さな奇跡の始まりだった。

 このエピソードは、人を教えるという行為は一方通行ではなく、指導する側、される側の信頼関係の下、互いが気付きを得ることができ、成長できる場であることを示唆しているように思える。企業においても、1人のビジネスパーソンのさらなる成長を促す機会にするという視点で、その人に指導を任せていくのも効果的ではないだろうか。

 ジム・モリスは若き日のマイナーリーグ時代には球速145キロがせいぜいだったと著書で述べている。それが故障し、マイナーリーグを引退してから10年で150キロ代後半にまで球速が伸びたことにご本人も当惑していたようだ。

 そんな事実を前にすると、やっぱり米メジャーリーグにはベースボールの神様がいるのかなと思ってしまう。

執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)

ライター。

【T】

あわせて読みたい記事

連載バックナンバー

アスリートに学ぶビジネス成功への軌跡