ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
2000年10月、モンゴルから来た15歳の少年が関西国際空港に降り立った。名前はムンフバト・ダヴァジャルガル。その当時、身長175cm、体重62kgという痩せた色白の少年が、後の第69代横綱、白鵬翔(以下白鵬)である。来日は力士をめざすためではなく、日本への興味、そして相撲の稽古がしてみたいという軽い気持ちによるものだったという。
一緒に来日した6人の少年と共に大阪の実業団で相撲の稽古をしていると、角界の親方たちが見学に訪れ、その中から3人の少年は相撲部屋への入門が決まった。ムンフバト少年に白羽の矢を立てた親方はいなかったという。新弟子検査の基準である体重67kgにも届かない痩せた少年に目が向かなかったのは無理からぬ話かもしれない。
しかしその時、少年の知らないところで運命は変わろうとしていた。初のモンゴル出身力士である旭鷲山関(当時)の口利きがきっかけで宮城野部屋に入門することになったのだ。こうして3カ月の観光ビザで来日した少年は、思わぬ縁で相撲人生をスタートさせることになった。
入門当初は、体が細かったため、稽古への参加は許されず、体を大きくするために、毎食のちゃんこ鍋に加え、山盛りのどんぶり飯4杯とプロテイン、そして1日に牛乳5リットルを飲むというノルマが課せられた。そしてようやく体が大きくなると厳しい稽古が始まった。
“1日に3回泣いていました。ほぼ毎日ですね。稽古場で2回。稽古が苦しい時、泣いて、終わった後、先輩に「お前のためだから」って慰められて泣く。夜寝る前にも1回泣く。「明日、また稽古が始まるんだ」ていうね”(白鵬伝 朝田武蔵著より)
そうした日々に耐え、乗り越えることで白鵬関は番付表を駆け上がり、来日からわずか7年、平成19(2007)年7月場所で横綱昇進を果たした。そしてご承知のように、現在(平成31年1月場所5日目時点)も、白鵬関は横綱として大相撲を支えている。すでに幕内優勝は前人未到の41回。その実績は広く知られるところだが、相撲中継を見ているだけでは伝わりにくいのが白鵬の相撲愛だ。
“誰よりも「相撲が好き」って言える自信、ありますね”(同白鵬伝より)
そして白鵬の相撲愛は、大相撲の歴史をつくってきた偉大な先人たちへと向けられていく。少年のようなひたむきさで古い雑誌のモノクロームの写真や映像から、昭和初期の男女ノ川や双葉山の取り組みを研究し、またモンゴル時代から尊敬する大鵬を恩師として慕い、助言を求めたという。
異国から来た白鵬が見せる、日本の“相撲”に対する真摯な姿勢は、グローバル化の中、海外で事業に取り組む企業、あるいは外国人と共に仕事をする機会が増えたビジネスパーソンにとっても学ぶべき点があるのではないだろうか。
「郷に入っては郷に従え」という言葉がある。その教えから一歩進み、その国の風土、文化を愛する姿勢を大切にすれば、それはきっと相手にも伝わり、信頼関係の醸成に大いに役立つだろう。たとえ言葉や宗教が違っても、どの国や地方にも私たちの心を捉える何かがあるはずだ。白鵬にとって相撲がそうであるように。
平成25(2013)年3月場所、全勝で優勝を飾った白鵬が優勝インタビューの最後に亡くなった大鵬への黙祷(もくとう)を会場全体に促した場面を覚えている方も多いだろう。大鵬の死を悼み、タオルで両目からあふれる涙をぬぐう白鵬を表現するのに「モンゴルから来た」という前置きは必要ない。それは国の違いを超え、尊敬する昭和の大横綱に哀悼の意をささげる平成の大横綱の姿だった。
執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)
ライター。
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