ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
日本映画界の巨匠、黒澤明監督の第1回監督作品は1943年に公開された「姿三四郎」だった。
原作はその前年に発表された同名小説で、主人公である三四郎のモデルとなったのは、必殺の投げ技「山嵐」を武器に、講道館四天王の一人と称された西郷四郎という伝説的な天才柔道家だという。西郷さんが身長153㎝と小兵だったことが考慮されたのか、映画で三四郎を演じたのは、やはり小柄な藤田進さんだ。
映画は大ヒットし、その後、「姿三四郎」が映画やテレビで何度も映像化されたことは多くの方がご存じだろう。そして姿三四郎の名が広く知られていく中で、小兵ながら強い柔道家を「~の三四郎」と表現するようになった。
中でも、誰もが膝をポンとたたいて、なるほどまさにそうだ、と納得するだろうと思えるのが、古賀稔彦(としひこ)さんに冠された「平成の三四郎」という異名だろう。
「小よく大を制す」。まさに柔道という格闘技の醍醐味を体現してみせたのが古賀さんだった。
1990年に開催された体重無差別の全日本柔道選手権大会は圧巻だった。身長169㎝、体重75㎏の古賀さんは、大会で最も小柄な選手として出場し、重量級の、時には倍以上の体重がある選手を次々と破り、決勝進出を果たすのである。決勝の対戦相手は全日本選手権連覇をめざす小川直也選手。95㎏超級の選手であり、身長193㎝の小川選手と対峙すると、古賀さんはまるで子どものように見えた。それでも果敢に挑み、惜しくも足車の技で敗れたものの準優勝を遂げたのだ。
古賀さんといえば、背負い投げで鮮やかな一本勝ちを決める痛快な戦いぶりが真骨頂だろう。
1992年のバルセロナオリンピックでは、練習中に左膝の靱帯を負傷し、歩くのもままならないような状態で、痛み止めを打ちながら試合に臨んだ。
そのような致命的なダメージを受けながらも、初戦となる2回戦はともえ投げで一本勝ちを決め、3回戦は優勢勝ち、4回戦は判定勝ち、そして続く準決勝では、膝に負担をかけないために封印していた一本背負いをさく裂させ、一本勝ちで決勝に進んだ。決勝でのハンガリーのベルタラン選手との闘いは接戦の末、旗判定に持ち込まれた。古賀さんの勝利を高らかに宣言する赤旗が3本上がった時の、古賀さんの感極まった表情を覚えている方も多いだろう。そして柔道男子71㎏級の金メダルは古賀さんに贈られた。
数々の名勝負で観客を魅了してきた古賀さんだが、その著書では金メダルを手にした栄光や勝利の歓喜には触れられていない。著書で述べられている内容で印象的なのは、勝つために必要な要素である「心・技・体」、中でも心の充足の大切さとそれが十分にできずに臨んだ試合への反省だ。
高校時代から負け知らず、怖いもの知らずの勢いで柔道に臨んできた古賀さんが、心の大切さに目覚めたのは、金メダル候補として出場したソウルオリンピックで、勝たねばならないというプレッシャーに苦しみ、3回戦敗退に終わった経験が大きいという。
先に紹介した全日本選手権における小川直也選手との戦いに関しても、ご本人の評価は手厳しい。
『大会が終わった後に、「よく決勝までいった」「惜しかったな」「頑張ったな」と、多くの人が声をかけてくれました。しかし自分としては、すごく恥ずかしい気持ちで一杯でした。絶対に勝つという強い意志を持てないまま、ぶざまな試合をしてしまった』
(勝負魂 古賀稔彦著)
取れるものなら、全日本選手権のタイトルも取ってみたいという気持ちで出場した自分を恥じ、その反省を次なる挑戦に生かしていく。そうした内なる心との静かな戦いを畳の外で続けた人だった。
ビジネス界では、講師や先輩の成功体験を聞く機会が少なくないが、失敗したエピソードや、それをどう乗り越えたかという経験談もキャリアの浅いメンバーには共感できる点が多いはずだ。そうした話題を中心にした勉強会も効果的だろう。
自らの内なる心を見つめてきた成果は大ケガをして臨んだバルセロナオリンピックの大舞台でも発揮されたという。
『「この状態で金メダルを取るにはどうしたらいいのか」ということに精神を集中させることができました。そして試合当日には、「優勝したい」という願望が、「優勝できる」という確信に変わっていました』
(勝負魂)
人はそこまで強くなれるのか。
そこまでの強みに到達しながら、古賀稔彦さんは、2021年3月24日に病で亡くなってしまった。まだ53歳。そのお顔に三四郎らしい精悍(せいかん)さを残したまま逝ってしまわれた。
執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)
ライター。
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