アスリートに学ぶビジネス成功への軌跡(第34回) 世界記録を35回更新した棒高跳びの“鳥人”ブブカ

人材活用

公開日:2021.04.22

 セルゲイ・ブブカと棒高跳びの出合いは9歳の時。

 街のスポーツクラブで棒高跳びの練習を見たブブカは、まるで人間が空を飛んでいくような驚くべき光景にたちまち魅了されてしまったそうだ。

 ブブカは、自宅に戻ると近所で拾ってきた棒を使って、早速、棒高跳びの練習を始めた。子ども時代にブブカと同じように棒高跳びのまね事をした経験を持つ方は少なくないだろう。しかし多くの場合は、棒を使って小さな川を飛び越えようとするものだ。ブブカは違った。彼は棒を手に庭のフェンスに向かって走りだすのだ。何度かのトライの後、ブブカは自分の体を宙に浮かせる感覚をつかみ、そしてまた何度目かの挑戦の後、見事フェンス越えをやってのけた。

 その時の興奮を思い出し、彼は自著で次のように述べている。

「棒高跳選手セルゲイ・ブブカのマークした初記録は、庭のフェンスである」
(なぜ“ブブカ”はスポーツでもビジネスでも成功し続けるのか セルゲイ・ブブカ著)

 そして11歳になったブブカはスポーツクラブで本格的に棒高跳びの練習をスタートさせることを決心する。

 あの日、ブブカが棒高跳びの練習風景に心奪われなければ、人類が棒高跳びで6m越えを実現させるのにさらに多くの年月を必要としたのではないだろうか。

世界陸上史上でただ1人6連覇を達成

 ブブカがスポーツクラブで出会ったペトロフコーチは、実技の練習がしたくてウズウズしているブブカに棒高跳びをするために必要な身体能力を高めるためのトレーニングを課した。それが功を奏し、非公式ながら、100m走では10秒2、走り幅跳び8m20、走り高跳び2m12という記録を出せるまでの身体能力が培われた。また器械体操のつり輪や平行棒でも非凡な才能を見せたという。

 そうした能力が、トラック上では陸上競技、空中においては体操競技という2つの面を備えた棒高跳びでの華やかな成功をもたらすのである。

 物語のスタートは、1983年の第1回世界陸上ヘルシンキ大会だった。ブブカは、この大会で5m70の記録で優勝。これを皮切りに世界陸上において大会史上唯一となる同一種目6連覇の偉業を達成する。

 また棒高跳びのブブカの名を世界中に知らしめたのが、世界記録を35回更新するという前代未聞の快挙だ。

トップを走る人材の孤独な闘いを見守る視線を

 ブブカは1㎝単位で世界記録を更新した。そのため記録更新は、国や世界陸上連盟、スポンサーなどから支払われるボーナスを目的としたものだと批判的な声もあった。

 世界記録35回更新という偉業が色あせることはない。1㎝ずつ、それで結果的に35㎝も世界記録を伸ばしてみせることがどれほどの努力と集中力を要することか想像に難くないだろう。

 ブブカ自身、先の著書で次のように述べている。

「棒高跳という競技が大好きで、記録を出すことも楽しかった。しかし、超えるべき壁が自分自身というサイクルは、どうしてもマンネリを招いてしまう。徐々にそんな閉塞感に支配されていくようになった」
(同著)

 華々しい実績から“鳥人”と呼ばれたブブカだが、決して“超人”ではなかったのだ。

 ブブカは、閉塞感から競技に対する情熱を失いかけた自分を支えてくれたのは、家族や周囲の人間、そして世界中のファンだったと振り返っている。記録を打ち立てるたびに喜んでいる人々のために跳ぼう、と。

 ビジネスの分野でも、その優秀さゆえに先を行く人材の孤独な闘いを見守り、理解し、支えていくという姿勢が上司や経営トップに求められるのではないだろうか。

 ブブカは、意外なことにオリンピックでは目覚ましい成績を残すことはなかった。出場したオリンピックで金メダルを獲得したのは1988年のソウルオリンピックのみ。バルセロナ、アトランタ、シドニーの各大会では決勝記録なし、予選での棄権、予選落ちという世界記録保持者としては似つかわしくないともいえる成績に終わっている。

 しかしメダルを首にかけていなくても、世界中の人々が長く棒高跳びのトップアスリートはセルゲイ・ブブカであることを知っていた。1993年に更新された35回目の室内世界記録6m15がルノー・ラビレニ選手(フランス)が打ち立てた6m16cmという記録で破られたのは2014年2月のこと。実に21年間にわたり、ブブカは世界一の棒高跳び選手であり続けたのだ。

執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)

ライター。

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