ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
1966年のドラフトで1位指名を受け、阪神タイガースに入団した江夏豊さんは、著書で初キャンプのこんなエピソードを紹介している。
ブルペンにはドラフト1位の江夏はどんな球を投げるのか、と興味津々の新聞記者やファンが群がっていた。その前で川崎さん(注 ピッチングコーチ)は「カーブも放れんと、プロ野球に入ってきたんか」と言ってゲラゲラ笑った。十八歳の自分は傷ついた。
(『燃えよ左腕 江夏豊という人生』江夏豊 著)
入団後にカーブも投げるようになった江夏投手だが、最初は基本ストレート一本で打者に向かった。先輩、村山実投手の教えである「投手はリズム」を受け継ぎ、捕手から球が返ってきたら間をおかずにポンポン投げていく。そして打者を次々と三振に仕留めた。
入団2年目の1968年9月17日、江夏投手はジャイアンツ戦で、シーズン奪三振の日本記録「353」の更新に挑んだ。新記録を狙うだけではなく、江夏投手は、試合前から日本新記録となる三振は、前年まで6年連続のホームラン王を獲得し、球界を代表する打者であった王貞治選手から取ると公言するのだ。そして、実際、4回に王選手から三振を奪うのだが……。
その王さんから奪った三振で新記録と思ったら、勘違いでタイ記録。また王さんを打席に迎えるまでの一回り、どうすりゃいいんだと頭を巡らした。
(同書より)
そこで打たせて取る戦略に切り替え、後続をヒット1本でしのぎ、再び7回に王選手と対戦する。2ストライク1ボールと追い込んだ後の4球目。20歳の青年がチームを勝たせる!三振を取る!という熱い思いを乗せて投じた高めのストレートを王選手はフルスイング。空振りに仕留めた。
奪三振の記録は同シーズン中に401個まで伸び、その数字は現在も日本球界の最高記録として残っている。
それから、10年以上の時を経た1979年11月4日、再び江夏投手は日本中の注目を集めていた。舞台は日本シリーズ第7戦(広島東洋カープv.s.近鉄バッファローズ)。どちらが勝っても初の日本一という絶対に譲れない戦いだった。
カープのリリーフエース江夏投手は、4対3と1点リードした7回途中にマウンドへ。リードを守ったまま9回裏にもマウンドに立った。そこからは作家の山際淳司氏のノンフィクション「江夏の21球」で描かれたドラマが展開されていく。
3つのアウトで悲願の日本一。しかし、先頭打者のヒット、味方のエラー、四球、敬遠などで瞬く間にノーアウト満塁のピンチを招いた。
打者は佐々木恭介選手。3球目、あわや逆転タイムリーと思われる痛烈なゴロを打たれるも判定はファウル。2ストライク1ボールと追い込んだ。
このあとの2球の配球は自分の投球術の集大成ともいえる「最高傑作」だった。5球目は膝元へのボールになる直球。これは決め球への布石だった。見逃し方を見て、同じコースから曲がってボールになるカーブを放れば、絶対振ってくると確信した。
(同著より)
その読み通り佐々木選手は空振り三振。これで1アウト。
次の打者は石渡茂選手。江夏投手は、石渡選手がスクイズしてくると考えた。1球目はカーブで見逃しストライク。そして2球目。
テークバックの途中で、石渡のバットが一瞬下がるのが見えた。来た。スクイズだ。100分の1秒というほどの判断で、外角高めにはずした。
(同著より)
暴投とも見えるようなボールに、石渡選手は体を泳がせながらバットを出すが、空を切り、ホームに突っ込んできた走者はタッチアウトになった。2アウト。これで一気に空気が変わり、石渡選手を空振り三振。カープは日本一の座に輝くのだ。
プロ生活13年目、経験を積み、技術を磨いた江夏投手は円熟の境地に入っていた。しかし、速球一本でプロのスカウトに認められた天才投手でさえ、そこまで来るには多くの人の支えとアドバイスを必要とした。
入団2年目に粗削りの投球術を基本から鍛え直したタイガースの林義一コーチ。エースの責任を自らの背中で見せた村山投手。バッターを見ることの大切さを教えたジャイアンツ(!)の金田正一投手。また、南海ホークス(当時)在籍時、体調に不安を抱える江夏投手を先発からリリーフ投手に転向させ、リリーフエースへと育てたホークスの野村克也選手兼任監督など、枚挙にいとまがない。
ビジネスシーンでも、周りからの優れた部分を吸収したり、アドバイスを受けたりすることは重要だ。所属部署の管理職や先輩はもちろん、他の企業の社員とも交流することで、仕事に役立つヒントやアドバイスが得られる可能性が広がる。ライバルを見つけて切磋琢磨(せっさたくま)することもいいだろう。
交流する枠組みをもっと広げれば固定観念からの脱却や発想力を鍛えることにつながるかもしれない。同じテリトリーにいては、発想力に限界が出てくる。それを広げたり、タテヨコナナメに展開したりするのは、異なる視座があってこそだろう。江夏選手という傑物であってもそうなのだから。より広い交友から刺激を受け己の成長の糧とする姿勢は重要だ。
それにしても日本のプロ野球界にも、なんともすごい、そしてチャーミングな投手がいたものだ。
執筆=藤本 信治(オフィス・グレン)
ライター。
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