ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
イマジンプラス(人材紹介・人材派遣)
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第32回は、デジタル家電や化粧品などの販売スタッフの教育、派遣事業を展開するイマジンプラス(現:JWソリューション、ワールドスタッフィング)の創業者、笹川祐子氏。創業から23年間黒字経営を続けた同社だが、新型コロナショックが直撃し、2020年、一転赤字となった。「従業員のリストラはしたくない」と考えた笹川氏は、2021年1月にイマジンプラスの全株式を譲渡し、人材派遣大手のワールドホールディングスのグループに加わった。創業から売却を決断するまでの経緯を追った。
笹川氏は北海道滝川市に生まれ育ち、札幌市内の女子大に進学した。卒業後、札幌で住宅インテリア系の出版社や古本屋チェーンで働いたが、仕事への思いが強過ぎたことが災いし、上司とすぐに衝突してしまい長く続かなかった。
笹川祐子(ささがわ・ゆうこ)
北海道生まれ。札幌市の大学を卒業後、出版社、古本屋チェーン、パソコンスクールを経て上京。パソコン、英会話スクールを経営する企業で総務を経験した後、1997年に人材派遣業を社内起業。2003年にMBO(マネジメントバイアウト)の形でイマジンプラスを設立。2021年全株式譲渡し、ワールドホールディングスのグループに加わり、社長を退任。現在、2012年に設立した人材教育・研修事業を行うイマジンネクストの社長を務める
「社長になって、新卒社員に3年は続けましょうと偉そうなことを言っていますが、私自身は本当に失礼で生意気だったと反省しています」と笹川氏は苦笑いする。
その後、25歳でワープロやパソコンのスクールを運営する会社に転職した。「ちょうどワープロからパソコンへと転換する時期でした。これからパソコンの時代になるから、と知り合いから紹介されたのがきっかけです」(笹川氏)。
少人数のベンチャー企業だったため、営業、企画、採用、新規出店マーケティング、管理部門などあらゆる職種を経験し、数年後には20代で社長、常務に次ぐ役職にまでスピード出世した。
「チームを持ち、マネジメントも経験させていただき、総務・経理をはじめ、会社経営についても学びました。上司に恵まれ、仕事はとても楽しかった。バブル景気で日本全体が活気にあふれていた時代でした。当時はまだ、起業したいという気持ちはありませんでしたが、仕事を通して世の中に貢献したいという思いは強くありました。お客さまのためになることを自ら企画し、承認を得るには出世するしかない。経営ボードの一角になりたいという思いはありました」(笹川氏)
ここで、社長と一緒に資金繰りも経験させてもらった笹川氏は、キャッシュフローの大切さを実感したという。「社長が『キャッシュさえあれば、会社は潰れない』と話していたことを、私はずっと胸にとどめてきました。この言葉があったから23年間、黒字経営を続けてこられたのだと思っています」(笹川氏)。
経営を学び、異業種交流会などにも積極的に参加する中で、笹川氏は東京を拠点にコンピューターや英会話スクールを経営するオーナーに熱心なヘッドハンティングを受けた。
「まだ若かったので、東京に出て勝負したいなと思いました。私の祖先は、北海道を開拓した屯田兵です。そのフロンティアスピリッツを受け継いでいるのかもしれません」(笹川氏)
30歳で東京に出てきた笹川氏は、新規事業に取り組みたいとオーナーに希望を伝え、3年間、総務で広報や採用の仕事をしながら新規事業を考え続けていた。その後、社員の男性と2人で新規事業に挑戦するチャンスを与えられた。だが、その時はまだ、何をやるかは決まっていなかった。1年ほど試行錯誤したものの、なかなかうまくいかなかった。
「朝から晩まで、2人であらゆる手を尽くしても、思うように事業として芽が出ませんでした。夜遅くまで働き、閉店の30分前にお店に駆け込んで一杯飲みながら彼と反省会をするのが日課でしたが、ある時『一生懸命やっているのに、なぜ結果が出ないんだろう』と話し合い、自分たちの得意なことを真剣にやってみようと原点に戻ったんです」(笹川氏)
一緒に新規事業に取り組んでいた男性社員はプログラミング関係の会社経営の経験があった。笹川氏はパソコンスクールでの経験が強みだ。世の中は1995年にちょうどインターネット対応をうたった「Windows 95」が発売され、まさに“ネット時代”が始まろうとしていた。市場調査のためにパソコン関連の展示会に行ったところ、各メーカーのブースで女性スタッフたちが接客をしていた。
「当時、コンパニオンと呼ばれていた接客スタッフの女性と話してみると、CPUやメモリ、インターネットで何ができるかなど、パソコンの知識がほとんどなかったんです。外見が美しく接客スキルがあり、さらにパソコンの知識のある人材を育成できたら、ニーズがあるのではないかと考えました」(笹川氏)
1997年に社内の新規事業として創業後、2003年に笹川氏がイマジンプラスとして独立させた。パソコンの販売スタッフ派遣からスタートし、時流に乗って業績を拡大した
1996年当時、自宅にパソコンを持っている若者はほとんどいなかった。そんな状況の中で大学生に「パソコンを教えます」と募集したところ、デモンストレーター希望者がたくさん集まったという。
「彼女たちをしっかり教育し、『接客ができて、パソコン知識のある接客販売スタッフがいますよ』とメーカーに売り込みに行くと、すぐに『そんな人が本当にいるなら連れて来い』と言われました。そして、展示会で彼女たちが活躍するとそれを見て、別に出展していた大手メーカーも次々に『ウチにも派遣してほしい』と言ってきました。パソコン普及の時流に乗り、売り上げも右肩上がりに成長していきました」(笹川氏)
社内の新規事業から始めた派遣スタッフ事業を、のちに子会社化して笹川氏が社長を務め、事業が成長した2003年に「MBO(マネジメントバイアウト)」の形で笹川氏が株を買い取り独立させた。それがイマジンプラスだ。
イマジンプラスは2000年まではパソコンメーカー、その後はパソコンソフト、デジタルカメラとデジタル家電メーカーを中心に人材を派遣し、業績を伸ばしていた。
2005年から株式上場の準備を始め、2008年を目標に上場をめざしたが、「もう少しだけ利益を出せるようになってから」と、時期を1年延ばした。だが、2008年9月にリーマン・ショックが起こり、上場どころではなくなった。
「結果的に、上場しなくてよかったと思っています。もし2008年に予定通り上場していたら、株価が下落して、損失を被った株主への責任感から眠れない日々が続いていたでしょう」(笹川氏)
リーマン・ショック前の2008年3月期は、46億5000万円の売り上げを計上し、本部の従業員も85人にまでになっていた。しかし、2009年、2010年と人材を派遣していたプロジェクトが次々に終了。100人ものスタッフを派遣していたコールセンターも終了を通達された。「1年目に売り上げが8億円落ちて、翌年は12億円落ちました。それまでずっと右肩上がりだったので、毎月毎月、売り上げが落ちていく恐怖を初めて味わいました」(笹川氏)。
ただし、かなりのキャッシュフローに恵まれたことに加え、上場を取りやめたことによる費用の削減、役員報酬の大幅減額などにより、この時も決算は赤字にならず、社員のリストラも行わずに済んだ。「キャッシュがあれば会社は倒産しない」という札幌時代の社長の教訓が生かされたことになる。
その後、苦境を脱却するため笹川氏が目を付けたのは、中国人旅行客による爆買いブームだ。中国語が話せるだけでなく、日本式のおもてなしや接客ができるように中国人を教育し、百貨店やドラッグストアなどの販売スタッフとして、化粧品メーカーなどに売り込んだ。銀座、日本橋といった東京エリアだけでなく、新千歳空港なども対象とした。こうした中国人スタッフの需要は全国で高まっていた。こうして、イマジンプラスの派遣先は、デジタル家電販売向けからインバウンド需要向けに軸足をシフトし、売り上げは少しずつ回復した。
ところが、今度はそれがあだになった。2020年春、新型コロナウイルスの感染拡大がイマジンプラスの経営を直撃した。「人と接する販売業そのものが影響を受け、さらにインバウンド需要が全滅。逃げ場がなく大打撃を受けました。2020年2月からスタッフを派遣していたイベントがどんどん中止になり、出展社からの派遣要請もキャンセルになっていき、3月には大幅な単月赤字となりました」(笹川氏)。
それでも会社にはキャッシュがあった。雇用調整助成金を利用しながら、笹川氏は何とか踏ん張りたいと考えていた。「当社は人が資本の会社です。雇用調整助成金では給料満額は出ませんが、派遣スタッフには平均賃金の100%を支給していました」(笹川氏)。
コロナ禍以前に本社を構えていた、イマジンプラスの東京・新宿の本社オフィス。リーマン・ショック後は、中国人インバウンド需要に注目し、百貨店などの化粧品販売スタッフを派遣していた
2020年8月、テレワークでほとんど使うことのなくなった本社オフィス(東京・新宿、家賃約250万円)の解約を決意した。上期決算は予測通り大赤字だった。このオフィスの解約と上期決算により、笹川氏の気持ちに変化が訪れる。
「まず、新型コロナをどう見るか。これはそう簡単には収まらないだろうと思いました。このまま赤字が続くと従業員の雇用を守ることができなくなる。それだけは避けたいと考えました」と話す笹川氏。
そんな時、笹川氏の脳裏に浮かんだのが“M&A”という選択だ。
「それまでもM&Aのオファーはたくさん届いていました。しかし、売却は考えたことがなかったので、具体的に検討したことはありませんでした。いずれ、そういう選択肢もあるだろうと頭の隅に置いておき、M&A先となり得る同業企業の役員などと交流するようにしていたんです」(笹川氏)
そうした付き合いの中で、M&Aに際しては「不採算部門を切り離す」、「地方拠点は閉鎖」などの条件を出される場合もあると聞いていた笹川氏は、「会社の切り売りはしたくない。まるごと引き受けてくれる会社がいい」と考えていた。
9月上旬、もともと知己を得ていた人材大手ワールドホールディングスと案件共有や情報交換の流れから、M&Aの話になる。ワールドホールディングスは東証1部上場企業で、グループ全体で1500億円の売り上げを持つ人材派遣業界の大手だ。製造系、技術系、物流系、研究開発系の業務請負・派遣を強みとしており、今後は販売系を強化したいという経営方針からの打診だった。
「ワールドホールディングスは会長が非常に強いオーナーシップを発揮され、堅実に経営をされている印象を持っていました。また、社会貢献事業にも力を入れており、イマジンプラスを任せられると思いました」(笹川氏)
笹川氏が提示した条件は、「現従業員の雇用を守ってほしい」という1点のみ。誰に相談することなく、笹川氏はM&Aの決意を固めた。自分が創業し、24年間大事に育ててきた会社を売却する。それは、苦渋の決断だった。
(後編に続く)
執筆=尾越 まり恵
同志社大学文学部を卒業後、9年間リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP日経トップリーダー編集部委嘱ライター。
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「事業承継」社長の英断と引き際