ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
東邦レオ(屋上・壁面緑化などの都市緑化事業)
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第24回・第25回は、東邦レオ(大阪市)の橘俊夫会長。同社は1965年に橘会長の父・泰治(やすはる)氏が創業し、その後、橘会長が2代目社長としてバトンをつないだ。2016年に現社長の吉川稔氏に事業を承継し、現在は会長として同社の成長を支える。
橘俊夫(たちばな・としお)
1950年、愛媛県生まれ。73年に甲南大学を卒業後、日本交通公社(現JTB)に入社。74年、父の泰治氏が創業した東邦パーライト(現東邦レオ)に入社し、90年から2016年まで社長を務める。16年に吉川稔氏に事業を承継し、会長となる
橘会長には娘が1人、兄には息子が2人いたが、血縁者への承継は選ばなかった。
「同族経営を否定するわけではないけれど、おいも娘も別の人生を選び、こちらからも無理に血縁者にこだわることはしなかった。同族会社の弊害も多く見てきたので、優秀な社員がやる気をなくすことをやってまで身内を入れてはいけないという思いがあった」と橘会長は話す。
社員たちをグロービスで学ばせていたとき、そのセミナーで講演をしていたのが吉川社長だった。吉川社長は、金融機関勤務を経て、投資会社を起業するほか、セレクトショップ運営会社やカフェ経営会社の副社長を務めるなど、多彩な経歴の持ち主だが、一方で建設業は未経験だ。
「変革期か平常時かによってリーダーシップの在り方は違います。東邦レオに関しては、創業者である父が地盤を作り、私がそれを基に人を育て、事業を発展させてきました。次のリーダーは、将来を見据え、構想力、先見性を持って会社を引っ張ってくれる人がいいだろうと考えていました。社員の中から選ぶことも考えたが、ずっと内部にいる人間だと、私と同じことはできても、それ以上のものが生まれにくい。いろんな視点や経験値を持った人が新しい価値を見いだしていくことが大事だと思ったんです」(橘会長)
吉川社長のセミナーを聞いた社員からの申し出で、ある部署で顧問として月に一度吉川社長からアドバイスをもらうようになった。当初、橘会長の吉川社長に対する印象としては、「うちの会社はみんなスーツを着ているのに、彼はいつもラフな格好をしている。正直、チャラいやつやな、と思った(笑)」という。
2016年、橘会長が66歳のとき、吉川社長が顧問をしていた部署で起こった小さなトラブルをきっかけに、2人で今後の会社や事業についてじっくり話す機会があったという。
橘会長から引き継ぎ、3代目社長となった吉川稔氏。1965年、大阪府出身。89年に神戸大学農学部卒業後、住友信託銀行での勤務を経て、投資会社をベンチャーとして起業するほか、セレクトショップ運営・リステアホールディングスの取締役副社長やカフェ経営のカフェ・カンパニーの取締役副社長などを歴任。2016年11月に東邦レオの代表取締役社長に就任した
「こんな会社にしていきたい、という私の思いを伝えました。3~4回そういう場を持ったときに、彼が『じゃあ、やりましょうか』と言った。私が『何を?』と聞いたら、彼は『社長を』と言う。冗談のような話だが、彼はすぐに当時持っていた仕事を全部整理して、うちに来てくれた。押しかけ社長です(笑)」(橘会長)
なぜ吉川社長は東邦レオの社長に名乗りを上げたのだろうか。
「吉川君は東邦レオの扱っている商品や将来性にポテンシャルを感じてくれたんだと思います。商品も人もいい。もっと大きくなれるはずだと言ってくれました。また、会社は業績を上げることも大事だが、人を育て、社会に貢献することが何より大事だと私は考えています。売り上げや利益を最優先にするべきではない。その考えにも彼は共感してくれました」(橘会長)
話はとんとん拍子に進んだ。吉川社長と合意した後、2週間後には株主総会を開き、1カ月後には社員に発表した。
「当時の社員は、私が採用して育ててきた人ばかり。社員の中には、採用のときはあんなに夢を語っていたのに、社長は自分たちを見捨てて逃げるのか、と感じる人もいました。そこで私は、『私が社長をしているよりも、吉川君が社長をしたほうが、間違いなく君たちは幸せになれるから、信じてくれ』と伝えました。そのときは『社長、何言ってるんですか』と言っていた社員も、最近では『社長、ほんまでしたね』と言っています(笑)。
彼が何年社長をするかは決まっていませんが、『自分が3代目社長としてやることは、次の社長を務められるような人材を育てること。何人もその役割を担える人を育てるので、そこから創業家が次期社長を選んでください』と言ってくれています」(橘会長)
吉川社長が就任して4年、「会社は劇的に変化している」と橘会長は評価する。吉川社長は社内にデスクを持たず、PCではなくスマホをメインで使用する。そうすると、自然と社内のインフラや決裁フローもスマホ中心へと変化した。ペーパーレス、押印レスを実現できていたため、コロナ禍でのテレワークも問題なく進められたという。
また、吉川社長は個々の社員が意思決定しながら働くティール経営も導入。最初は社員たちの間に戸惑いもあったが、「とにかくやってみる」という姿勢で、積極的に新しいことに挑戦している。
「吉川君が社長になってから、入社する社員の質も明らかに変わりました。これまでは当社の事業内容や技術に引かれて入ってくる人が多かったけれど、今は会社のビジョンや思いに共感して入社を希望する人が多い。こんな優秀な人がうちに?と驚くような人材がそろいつつある。
社員たちが横並びで、みんなが同じことをして、一緒に上がっていく時代は終わりました。それぞれの個を尊重し、本人の強みや目標を会社は支援しながら、個の融合によって全体のパフォーマンスを上げていかなければならないと考えています」(橘会長)
創業以来、赤字を出さない経営は継続中だ。現在の売り上げは60億円強になった。
社長を退いた橘会長は、社会に貢献できるような新たな人材発掘を目的に「レオ財団」を立ち上げ、慈善事業にも力を入れている。
「企業は売り上げや利益だけを追求するのではなく、得た利益をいかに世の中に還元するかを考えていかなければなりません。実は、利益を上げるよりそちらのほうが難しいかもしれない。自分たちさえ良ければいいという部分最適の考え方では企業は続きません。私も60歳くらいまでは、自分の会社が潰れないようにと必死にやっていました。でも、自分の会社がどれだけ立派になっても、日本経済がダメになったら、地球がダメになったら何の意味もない。じゃあ、その全体最適は誰が推進するんだと考えたときに、人に期待するのではなく、自分がやらなければ、と気付いたのです。
我々の世代が生まれた頃は、何もなく貧しかった。それでも、努力をすれば報われる時代でした。我々の世代が一生懸命頑張ってきたから、日本の経済成長があった。それは事実だと思います。でも、その後の世代は、努力をしても報われない時代。頑張る場すら与えられないような人がこれからたくさん出てきます。そこに対して、我々は何かを残していかなアカン。いいとこ取りをして死んでいくのはひきょうだと私は思っているんです」(橘会長)
経営を通して得てきた人脈・考え方・資金を社会貢献に生かしたいと考えて、橘会長はレオ財団を設立した。写真は2019年のカンボジア視察の様子
最後に、これから事業承継をする社長にアドバイスをもらった。
「私は吉川君と出会えたことが、とてもラッキーでした。思いは人を引き寄せるのだと実感しています。私は稲盛和夫さんの『動機善なりや、私心なかりしか』という言葉が好きなのですが、純粋にこの会社を社員のため、社会のためにやっていきたいと思っていたからこそ、出会いがあったのでしょう。考え方の純粋さは、科学では説明できないものをもたらすのではないかと感じています。多くの社長が、承継のタイミングについて、まだ人が育っていないから無理、他の人間には任せられないと言います。ストレートなことを言うと、社長を辞めた後にやりたいことがないことが問題だと思います。自分にできたのだから、他の人にもできるという考え方で、会社経営は新しい世代に任せて、我々世代は自分にしかできない新たなチャレンジをするべきではないでしょうか」(橘会長)
70歳を過ぎても橘会長は健康そのもので、「若いやつにはまだ負けん」と笑顔を見せる。次世代を担う人たちの幸せを願い、精力的に活動を続ける。
執筆=尾越 まり恵
同志社大学文学部を卒業後、9年間リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP日経トップリーダー編集部委嘱ライター。
【T】
「事業承継」社長の英断と引き際