ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
ピー・キューブ(テレビ番組・企業プロモーションなどの映像制作)
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第35回と36回は、大阪市でテレビ番組を中心とした映像制作を手掛けるピー・キューブの創業者、池田由利子氏。早いタイミングから「50代になったら次の世代に社長のポジションを譲りたい」と考えていた池田氏は、2018年7月に当時副社長だった奥田祐司氏に事業承継した。
そもそも、池田氏の社会人としてのキャリアはリクルートからスタートする。短大在学中、就職活動を始めようとしたが、当時、就職活動のガイドブックとされていた、企業情報をまとめた「リクルートブック」が自宅に届かなかった。
「御社は短大卒の学生を差別するんですか? とクレームの電話をかけたんです。そうしたら、『よかったら取りに来ませんか』と言われ、翌日、家から最も近かった神戸支社に取りに行きました。すると、その担当者がとてもスマートでカッコよく、話も面白かった。こんな人と一緒に働きたい!と思い、そのままリクルートの採用試験を受けました。リクルートブックを受け取ったのに、結局一度も開きませんでした(笑)」と池田氏は振り返る。
1985年に日本においても通信の自由化が始まり、電電公社が民営化されNTTとなった。リクルートも当時、電話回線リセール業の新規部署を立ち上げており、池田氏はそこで3年間働いた。ただし、20歳だった池田氏は、起業はおろか、長く働くつもりはまったくなかったという。
「当時、女性は20代半ばになったら結婚して仕事は辞めるのが当たり前でした。私も25歳で結婚しようと思っていました。だから、23歳で辞めて、2年間は好きなことをしようと思っていました」
池田由利子(いけだ・ゆりこ)
1965年神戸市生まれ。短大を卒業後、1986年リクルートに入社。1989年、23歳で退職後、フリーランスのディレクターとしてテレビ番組の制作に携わる。1996年にピー・キューブを設立。2018年に副社長の奥田祐司氏に事業を承継し取締役となる
計画通りリクルートを退職し、ダイビングのインストラクターになって南の島で暮らしたいと思っていた。ところが知人から「手伝って」と言われ、テレビ番組制作の世界へ。大学時代、地元神戸のローカルテレビ局の番組制作に携わった経験があり、その時の知り合いから「人手が急に足りなくなった」と、タイミングよく声がかかった。
天気、スポーツ、グルメなどを扱う早朝の情報番組を担当。最初はスタジオでアシスタントディレクターを務め、少しずつ特集のロケなどを任されるようになった。「今でこそ、ディレクターは女性が多くなりましたが、当時は男性ばかり。リクルートは男女半々だったので、驚きました。同じ立場の男性と一緒にいても、私のほうにコピー取りやお茶出しを頼まれることもたびたび。時代錯誤だなと思いましたね。旅ロケも私が行くと女性用として別の宿泊用の部屋を取る必要があるからと最初は行かせてもらえませんでした。その後少しずつ、リポーターの女性出演者が安心できるようにディレクターも女性がいいよね、とロケも任されるようになりました」
池田氏がピー・キューブを立ち上げたのは1996年。起業しようという高い志があったわけではなく、テレビ局からフリーランスではなく法人のほうが仕事を頼みやすいと言われたのがきっかけだった。
「会社をスタートした時点では早朝番組を手掛けていたので、朝8時には生放送の仕事が終わります。その後学校に行ったり、他の仕事をしたりするスタッフもいて、学生アルバイトを含め8人くらいでスタートしました。社長としてどんな会社にしていきたいとか、社員たちをどうマネジメントしていくかという意識はあまりなく、当時はただ、仲間たちと一緒に面白い番組を作りたい、という気持ちが強かったですね」
長寿番組を担当する一方、テレビ局でその番組を担当する局員が異動をして新しい番組をする際、新しい仕事の依頼を受けることも多く、特別な営業をしなくとも仕事に恵まれたという。
「25歳で結婚するはずが、王子様遅いなぁ……と思いながらも、仕事が楽しく没頭した」と話す池田氏。33歳で結婚したものの、結婚生活は長くは続かなかった。「結婚は相手がいるので、かなりハードルが高いことを思い知らされました。私にとっては起業より難しかったです」と苦笑いする。
池田氏に社長としての責任感や覚悟が生まれたのは、社長になって5年目くらいのことだった。立て続けに社員が交通事故にあったり体調不良になったりと、アクシデントが重なった。
「その時は社長を続けていくのがしんどくなり、本気で辞めたいと思いました。『自分が会社をやっていくことで、どんどん周りを不幸にしているんじゃないか』と悩みました。でもその時に社員の一人に、『私たちはピー・キューブのことがすごく好きなので、池田さんももっと好きになってください』と言われたんです。自分がへこんでいたらダメだ、こんなに思ってくれている社員がいるんだから頑張らなければ、と、そこで覚悟が決まりました」(池田氏)
ピー・キューブでは約40人のスタッフが働く。新社長奥田氏の指揮の下、働きやすい環境づくりにも力を入れている
現在、ピー・キューブは、アルバイトスタッフを含め約40人が働く会社に成長。テレビ番組を制作する他、企業のプロモーション動画も手掛けるなど、業務の幅を広げている。「動画のニーズが増えている一方で競合も増えています。自分たちならではのアイデアで付加価値の高いものを作っていかなければ生き残っていけません」と池田氏は語る。
31歳でピー・キューブを創業した池田氏だが、当時から50代で次の世代にバトンを渡すことを考えていたという。「20代は現場の最前線で走り回るのが面白い時期です。30代になってチームを作り後輩を指導しながら仕事をするようになり、40代は組織を作ったりお金を動かしたりする。そして50代になったら次の世代のサポートをするのが役割だと考えていました」。
リクルートに在籍中、創業者の江副浩正氏が52歳で社長を退任したことも影響している。「当時、22歳の私にとって江副さんはおじいさんに見えました。50代はあんな感じなんだな、あの年になったら私も次の世代に代わりたいなと思いました」(池田氏)。
社長の座を譲るに当たって子どものいない池田氏は後継者を社員から選ぼうと考えたが、そう簡単ではなかった。「社長って人気ないんですよ。責任ばかり重くて雑務も多い。現場で作品を作りたい人は社長なんて面倒くさいことはやりたがりません」。そんな中、次期社長として白羽の矢を立てたのが、創業時の学生アルバイトから長く一緒に働いてきた奥田祐司氏だった。
「奥田氏にはCG(コンピューターグラフィックス)の部署を任せていたので、クリエーティブの技術はもちろんありますし、同時に数字にも強いんです。私よりよほど緻密にお金の計算ができる。私は創業社長にありがちな、思いついたら後先考えずに行動を起こすタイプですが、彼は組織を作ったりきちんと社員たちに分かりやすいように伝えたり、丁寧に仕事を進められるタイプで、社長に向いていると思いました」
執筆=尾越 まり恵
同志社大学文学部を卒業後、9年間リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP日経トップリーダー編集部委嘱ライター。
【T】
「事業承継」社長の英断と引き際