ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
三福工業(ゴム・合成樹脂を用いた複合素材の製造・販売)後編
事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第23回は、三福(みつふく)工業の5代目社長の三井福次郎会長の後編。同社は、1867年に栃木県佐野市で創業して以来、150年以上の歴史を持つ。1979年に父から事業を受け継いだ三井会長は、2014年に息子の福太郎氏に事業を承継した。その後の経営への関わり方、新社長への評価、そして会社の未来について語ってもらった。
三井福次郎(みつい・ふくじろう)。1948年、栃木県佐野市生まれ。立教大学法学部を卒業後に三福工業に入社。1979年、30歳のときに同社の5代目代表取締役社長となる。2014年に長男の福太郎氏に事業承継し、代表取締役会長となる。19年3月に代表権を降りている。58歳で立教大学大学院に通い、2000年にMBAを取得(写真は会長室にて撮影)
2014年、三井会長は福太郎氏が40歳のときに事業を承継した。その後、金融機関への引き継ぎのため5年間は三井会長も代表権を持ったが、その期間も実務は福太郎氏に任せ、一切の口出しをしなかったという。
そして、事業承継から5年後、2019年に自らの代表権を外した。今、三井会長は本社でなく、車で数分の距離にある佐野工場の会長室で過ごしている。月次の数字には目を通すが、経営に口出しをすることはない。社員たちは相談があれば会長室に来るが、三井会長が自分から働きかけることはしない。
会長室のリクライニングチェアに座り、窓の外から聞こえてくる工場の稼働音に三井会長は耳を澄ます。
「数字以上に、音を聞けば現場の様子が分かるんです。8月は新型コロナの影響で音が聞こえない日もありました。10月頃からはまた毎日音がまた聞こえるようになって、社員たちも忙しそうに働いています。あぁまた動き出したんだな、と、いい音だなぁ、と思って聞いています」(三井会長)
就任から6年の社長としての福太郎氏の仕事ぶりに関して、「やるべきことをしっかりやっている」と三井会長は評価する。
三井会長からバトンを引き継ぎ、6代目社長となった福太郎氏。トップダウンではなく社員の意見を尊重し協力し合う経営スタイルを採っている
「創業から152年。当社は、米穀商から始まり、味噌・しょうゆ、運動靴、土木資材と事業の内容を変えてきました。何代も続く企業はみな、時代に合わせて変化しています。経営者は生き残るために、方々に新しい事業の種をまいているものです。先代がまいた種をどう育てるかが、社長の手腕です。これが伸びそうだと1つ決めたら、よそ見をせず一心不乱に育てることが大事です。コロナ禍で医療関係の需要が伸びています。まだ種の段階ではありますが、社長は今そこに目を付けて、力を入れているようです」(三井会長)
同社はインドを皮切りに、タイ、韓国にも合弁会社を設立し、現地でゴムや発泡体を製造、販売している。特にインドは好調で、安価な経費で付加価値の高い特殊なゴムを製造し、インドで販売するだけでなく、インドから中東アジアやアフリカに輸出している。福太郎氏は今、毎日のようにリモートで海外とも会議を行っているという。ここには、10代から培った海外経験の強みが生かされている。
同社が設立したインドの合弁会社。高付加価値の特殊ゴムを製造・販売する
事業承継が円滑にいく秘訣について、三井会長に聞いた。
「よく息子が継ぎたがらないと嘆く社長の悩みを聞きますが、楽しそうに仕事をする姿を見せているでしょうか? 『うちはもうからない』などと愚痴を言っているような会社に、息子が入りたいと思うわけがありません。私は幼少期から息子に豊かな暮らしをさせてきました。社長になったらどんないいことがあるのかを見せるのも大切だと思います。また、本気で誰かに会社を継いでほしいと思うなら、何年もかけて養成しなければなりません。そして、当社にはいざとなれば社長も務められるほど優秀な社員が何人もいます。人にはみな弱みがありますから、社長の弱みを補え、いざというときには代役も務まる優秀な人材を育てることも大切です」
こうした優秀な人を育てるために、「毎年必ず新人を採用するべき」と三井会長は語る。
「製造業は特に高齢化が進んでいます。社員の平均年齢を下げることが、将来の競争力につながるのです。これまで人がいなくて事業ができない、業務を縮小しなくてはならないという会社からいくつも仕事を引き継ぎました。当社の平均年齢は32~33歳。これまで、大卒だけでなく、近隣の高校を回り、高卒社員も採用しています。景気不景気に関係なく、毎年必ず採用し、人を育てるべきなんです。そして、ここで働きたいと思ってもらう会社にするために、働き方改革にもずいぶん前から取り組んできました。福島工場には女性リーダーもいます。育休を取得する男性社員もいます」
今後は福太郎氏が思うように会社経営してもらいたいと考えている三井会長だが、「できればこれだけは続けてほしい」と望む制度がある。それは、会社の業績を社員にオープンにすることだ。
三井会長が父親から事業を承継してまず取り組んだのが、三福工業を「家業から企業にする」ことだった。「父は昔ながらの社長で経理もどんぶり勘定。『給与計算を親族以外に任せるなんてもってのほかだ、女房にやらせろ』というタイプでした。それに対して私は、きちんと経理部門の担当者を立て、お金の流れをオープンにし、会社の組織をつくっていきました」。
例えば、そのために三井会長は、年に2回、全社集会で1年の目標発表と中間発表の場を設け、目標を上回れば3月に3回目のボーナスを出してきた。この制度は福太郎氏の代になっても受け継がれている。
会社経営は、バトンをつなぎ、トラックを走り続けるリレーだと三井会長。「私は助走なく急にバトンを受け取りました。息子には助走期間を設けて、きちんとバトンを渡すことができました。そして私はトラックから出て、今は息子が走っています。彼に望むことはそのバトンを次にしっかり渡してほしいということだけです」と語った。
執筆=尾越 まり恵
同志社大学文学部を卒業後、9年間リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP日経トップリーダー編集部委嘱ライター。
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「事業承継」社長の英断と引き際