「事業承継」社長の英断と引き際(第37回) 33歳で社長に就任した会長、次は息子に

事業継承

公開日:2022.02.22

ニッケン刃物(ハサミの企画・製造・販売)

熊田幸夫(くまだ・ゆきお)
1947年7月、岐阜県関市生まれ。1970年に日本大学生産工学部を卒業し、アメリカへ3年間語学留学。1973年から創業者である父親が経営する日本研削株式会社(現・ニッケン刃物)に入社し、自社商品の輸出を始める。主にアメリカ、韓国への輸出を拡大させ、1980年に代表取締役社長に就任。その後、海外からの仕入れにも目を向け、パキスタンや中国からの仕入れルートを開拓。自社工場では製造しきれない種類の刃物をそれら協力先から仕入れ始める。また、2008年に第三種医療機器の免許を取得し、ハサミ製造で培った技術を基にデンタルツール(口内ケア商品)の製造販売を始める。2018年に次男の祐士氏に事業承継した

 

 事業承継を果たした経営者を紹介する連載の第37回は、岐阜県関市で70年以上にわたり刃物の製造・販売を行うニッケン刃物の2代目で現会長の熊田幸夫氏。2018年10月に息子の祐士社長に事業承継した。

 ニッケン刃物の創業は1946年。熊田会長の父、文夫氏が熊田鉄工所として機械の修理や設計を請け負ったのがスタートだ。岐阜県関市といえば、国内でも有数の刃物製造の街。その土地柄、カミソリを製造する機械を請け負ったことをきっかけに、自社でもカミソリの製造を始め、1953年に日本研削株式会社として法人化。高度経済成長期にタイをはじめ、メキシコ、香港、シンガポール、台湾など海外への輸出が盛んになったことから、貿易部を独立させて1971年に設立したのが、ニッケン刃物だ。

 現在のニッケン刃物の主力商品はハサミで、キッチン用、工具用、布を切る裁ちバサミなど多種多様なハサミのほか、歯科で使うデンタルツールも製造している。国内ではOEM製造や、商社経由でホームセンターに卸している。

 売り上げは約8億円で、そのうち半分を海外が占める。特に堅調なのは韓国で、焼き肉を切るハサミとしてニッケンブランドが広く浸透している。中国製の安価なコピー商品も出回るようになったが、関の刃物は品質が良く、「切れ味が良く長持ちする」と海外でも人気で、金額が高くても売れているという。

現在はハサミだけでなくデンタルツールなども取り扱っている

 熊田会長は幼い頃から家業の刃物製造を見て育った。「父親から直接後を継げと言われたことはないが、長男なので将来は自分がこの会社をやっていくんだろうという意識はあった」と話す。

 日本大学の生産工学部を卒業後、父親からアメリカ留学を勧められた。「海外に刃物を輸出していた関係で、子どもの頃から会社によく外国の方が来て商談しているのを見ていました。父は英語が話せなかったので、英語は大事だぞ、覚えなあかんぞと盛んに言われていたこともあり、外国に行ってみたいという気になったんです。知り合いのつてで、ニューヨークに語学留学しました」(熊田会長)

 1年間、学校で語学を学んだ後は就労ビザに切り替え、現地の高島屋で品出しなど倉庫管理の仕事を2年ほど手伝った。周囲が日本人ばかりだったため、「英語はそこまで上達しなかった」とはいうものの、この経験がその後、家業を継いだ時に役に立ったという。

 「日本の百貨店なので、お客さんはアメリカ人でも日本が好きな方がほとんどでした。親しく話しかけてもらったりして、非常に楽しい経験をさせてもらいました。留学する前は、外国人と話すのは怖いなぁという意識がありましたが、アメリカでの経験のおかげで動じなくなり、むしろ外国人に積極的に話しかけられるようになりました。海外に行かせてくれた父には感謝しています」と熊田会長は話す。

 帰国後、ニッケン刃物に入社し、最初はカミソリやハサミの製造現場で働いた。1年ほどして留学経験を生かすべく海外貿易を学んだ。それまで同社は商社を通して貿易をしていたが、熊田会長は直接取引を増やし、海外の比較的安価な材料の仕入れ先も開拓していった。カナダ、アメリカ、ヨーロッパ、イタリア、韓国などに直接取引の販路を広げ、仕入れ先として中国やパキスタンの工場と取引を始めた。

若くして社長に就任し、会長と二人三脚

 1980年、熊田会長は33歳の時に社長に就任している。「たまたま、私の結婚式の時に、アメリカ時代にお世話になった高島屋の貿易部長の方が挨拶で『社長は早く替わられたほうがいい』とおっしゃったんです。それがきっかけで、周りも早く替わったほうがいいのでは、という雰囲気になり、その2~3年後に社長になりました」(熊田会長)

 ただ、父親もまだ若かったため、立場は会長と社長になったものの、実際には会社経営は主に父が担っていたという。熊田会長は新規営業に奔走していた。

熊田会長が社長を務めていた1990年代のニッケン刃物の製品

 「父から何か社長業を教わった記憶はないですが、営業については厳しかったですね。今はすべて振り込みですが、当時は訪問時に集金していたので、『毎月、日にちを決めてお客さんを訪問しなさい』とよく言われていました。そうすると、ニッケンさんが来るからと、新しい仕事を用意してもらえることもありました」(熊田会長)

 父親との関係は円満で、多少の意見の食い違いはあったとしても、大きなケンカをしたことはなかったという。「最初はお金のことも分からず、現場でただ必死に働いていました。だから、父から何か言われても、そういうものか、と素直に聞いていました。その後、私が仕事を分かってきて自分で主張をするようになってからは、父はお前に任せる、と言って引いてくれました。今思えば、父がケンカにならないようにしてくれたのだと思います」と熊田会長は振り返る。

 こうして33歳の若さで事業承継を果たし、初代と二人三脚で事業を拡大した2代目、熊田会長。次は3代目の承継が課題となった。熊田会長は、2人の息子に恵まれた。そのうち、3代目を継いだのは、次男である祐士氏だ。その経緯や現在の役割分担など、ニッケン刃物の2回目の事業承継について、次回紹介する。

執筆=尾越 まり恵

同志社大学文学部を卒業後、9年間リクルートメディアコミュニケーションズ(現:リクルートコミュニケーションズ)に勤務。2011年に退職、フリーに。現在、日経BP日経トップリーダー編集部委嘱ライター。

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