偉大な先人に学ぶ日本ビジネス道(第15回) 被災者支援に力を尽くしたカルピス、三島の大志

雑学

公開日:2017.08.23

 CSR(企業の社会的責任)やCSV(共有価値の創造)など、企業の社会貢献が経営課題の1つとなって久しくなります。2011年の東日本大震災時には多くの企業が義援金や支援物資を送り、社会に対する企業の役割が改めてクローズアップされることになりました。

 東日本大震災ではユニクロが120万着の衣料を被災地に送り、キリンHDが3年で約60億円を拠出するなど、企業による大規模な支援が話題になりました。こうした企業の大規模な被災者支援には、知っておくべき先例があります。東日本大震災から遡ること約90年、1923年の関東大震災のときに被災者支援を行ったカルピスです。

 関東大震災の話の前に、飲料としてのカルピスの誕生についてお話ししておきましょう。

 カルピス生みの親である三島海雲は、1878年、大阪にある浄土宗の寺の子として生まれました。山口県の中学校で英語教師をした後、仏教大学(現・龍谷大学)で学んでいましたが、教師を求めているとの話があり中国に渡ります。そして教壇に立った後、現地で日華洋行という雑貨商の事業を行うことになりました。

 あるとき、仕事で内モンゴルを訪ねた海雲は長旅のおかげで体調を崩してしまいます。そんな海雲を見たモンゴルの人は、自分たちが飲んでいる飲み物を甕(かめ)から注ぎ、海雲に振る舞いました。その酸っぱいミルクを毎日飲んでいると、体調が見る見る回復していきます。「弱っていた胃腸の調子が目を見張るばかりに整い、その上苦しんでいた不眠症が治った。体、頭、すべてがすっきりして、体重も増え、不老長寿の霊薬にでも遭遇した印象さえ受けた」とのちに海雲は述懐しています。

 1915年、38歳で日本に戻った海雲は、「大陸での経験を生かして、人々の役に立つ仕事は何かできないだろうか」と考えます。そこで思い出したのが、内モンゴルで飲んだ飲み物、酸乳(発酵乳)でした。

 内モンゴルで酸乳の作り方を見ていた海雲は研究を重ね、乳酸菌で発酵させたクリーム「醍醐味」を1916年に発売。さらに、醍醐味の製造過程で残った脱脂乳を乳酸菌で発酵させた「醍醐素」を発売します。そして醍醐素を改良して開発したのが日本初の乳酸菌飲料「カルピス」でした。

被災者の喉の渇きを癒やそうとカルピスを配る

 1919年7月7日、七夕の日に発売されたカルピスは、それまでにない、おいしく体に良い飲み物として評判を呼びます。そして、「初恋の味」という有名なキャッチフレーズとともに人気商品となっていきました。そんな折、襲ってきたのが関東大震災でした。

 1923年9月1日11時58分、関東地方を襲った大地震は、家屋全壊13万戸、死者10万人という甚大な被害を出します。特に東京東部の下町一帯は被害が大きく、一面が焼け野原となりました。インフラも壊滅状態で、水道から飲み水も出ないような状況です。

 しかし、カルピス製造(現・カルピス)のあった恵比寿の辺りは被害が小さく、水道は生きていました。9月1日はまだ暑さの残っている時期。飲み水が確保できないと、命に関わることになります。「飲み水に困っている人々に水を配ろう。同じ配るのなら、氷とカルピスを入れておいしく配ってあげよう」。東京の惨状を見て、海雲は即決します。

 カルピス製造の工場には、カルピスの原液がビヤだるで十数本ありました。これを水で6倍に薄め、氷を入れて冷やして配ることにしました。海雲は金庫にあった2000円を全部出し、この費用に充てます。

 水を配るのにはトラックが必要です。しかし、大地震の後でトラックは不足していました。各所に声をかけてトラックをかき集め、翌日の9月2日から東京市内を配って回りました。

 海雲のカルピスキャラバン隊はたちまち大反響となり、各地で大歓迎を受けました。上野公園では、避難していた人々が黒山を築いて迎えられたといいます。

 この被災者への支援により、カルピスは広く知られることになりました。震災から20年たってから、政府の高官は次のように語ったそうです。「私はカルピスのことなら、喜んでどんなことでも協力いたしましょう。震災のときに上野でもらった一杯のカルピスのうまさが忘れられないからです」

 海雲の行動は企業による被災者支援そのものでしたが、あらゆる企業の社会貢献活動は売名行為と受け取られる危険性があります。このときの海雲のことも、一部の新聞が「広告といえども感心である」と冷やかすような調子で評しました。

「私心を離れ、大志を持つ」ことの大切さ

 しかし、海雲は宣伝のために動いたのではありませんでした。「私はカルピスを配ったら広告になるなどという気持ちはみじんもなかった。困った人たちを助けたいという、まったく純真な人間としての衝動からだけである。広告として効果を上げたとしたら、行動に対する天の報酬であったというべきであろう」と海雲は述べています。

 海雲が大切にしていた言葉に「国利民福」があります。国家の利益となり、人々の幸福につながる事業を成す–。それが、事業家としての海雲の目標でした。

 カルピスも、当時日本人のカルシウム不足が問題となっていたところ、それを補い、乳酸菌の働きで胃腸を整える健康飲料として開発されました。おいしく滋養になり、安心感があって経済的である飲み物で人々の幸福に貢献するというのが、カルピスの根本にある思想です。そして、発売からおよそ100年がたった今でも飲み物としてのカルピスは人々に愛され続けています。

 海雲は「私心を離れよ。そして大志を持て」と言っています。海雲は人々のため、社会のためという考えを貫き通した人でした。自分にも欲はある、金をもうけたいと言っていますが、それも自分が主宰している三島財団が寄付できる金を増やしたいからという理由でした。

 私心を離れ、社会のためになることをやる。そして、それを社会は評価し、社会からの評価が事業を強くする。そのことを熟知していたのが、海雲だったように思われます。

【T】

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