プロ野球に学ぶ、組織の力を伸ばした男たち(第4回) 弱小を変えた西本幸雄流「体・技・心」の指導術

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公開日:2017.11.28

 球団フロントから投げつけられる理不尽と真っ向から闘い、現場では選手たちと火花を散らし、その一方で誰よりも愛された浪花節の名将といえば、西本幸雄(にしもと ゆきお/故人)氏だろう。昭和のパ・リーグを支えた大黒柱として、西本氏に尊敬の念を込めて語る関係者は多い。山田久志氏や福本豊氏といった阪急黄金時代の名選手たちがこぞって「オヤジ」と呼んでいたように、当時の野球界にとって西本氏は父親のように厳格かつ包容力に満ちた存在だったのだ。

 西本氏は監督として、大毎オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)で1度(1960年)、阪急ブレーブス(現:オリックス・バファローズ)で5度(1967~69年、1971~72年)、近鉄バファローズ(現:オリックス・バファローズに吸収合併)で2度(1979~80年)、計8回のリーグ優勝を果たした。通算1384勝1163敗、監督として勝利数歴代6位の記録を残しただけでなく、それまでリーグ優勝のなかった弱小球団の阪急と近鉄に祝杯をもたらした功績は大きい。

 数々の人間味あふれるエピソードがあり、「理より情の監督」と評価されている西本氏。一方では、彼の「弱いチームを強く育てる極意」には明確なプロセスが存在した。

 まずは戦えるだけの体力をつけ、次に技量を授け、最後に心を磨く。「体・技・心」の流れの徹底こそ、強いチームを生み出す秘訣だったのだ。そこで今回は、弱い組織を強くするための方法を、西本氏の著書「パ・リーグを生きた男 悲運の闘将・西本幸雄」(ぴあ/2005年)から読み解いていく。

弱者には戦える「体」を!練習で徹底的に鍛える

 西本氏が就任したときの阪急、近鉄はいずれも投高打低という攻撃力の低いチームだった。阪急には、米田哲也氏(通算350勝)、梶本隆夫氏(同254勝)という二枚看板、近鉄には鈴木啓示氏(通算317勝)というパ・リーグを代表する好投手こそいたものの、打撃が弱く、打線強化が課題とされていた。そこで西本氏は、特に野手に厳しい練習を課した。

 「西本さんと阪急に育ててもらった」「もし、監督と球団が違っていたら今の自分はない」日本プロ野球歴代1位の通算1065盗塁の記録を持つ福本豊氏はそう断言する。

 身長169cm、体重68kgという、プロ野球選手の中では飛び抜けて小柄な体格だった福本氏は、プロ1年目のシーズンは打球が飛ばずに苦しんでいた。シーズンオフに入った福本氏に対して、西本氏は、「バットを思いっきり振っても足がフラフラせんようなしっかりとしたスイングができるように、次のシーズンまでに練習してこい」とアドバイスした。

 福本氏はそれに応え、自主トレが始まるまでの約50日間、アドバイス通りに毎日バットを振り続けた。すると、本人も指揮官も驚くほど飛距離が伸び、ホームランがポンポン飛び出すような打撃に大変貌を遂げたのだ。

 不動の1番となった福本氏は、ある日の新聞でこんなコメントを目にした。――「(福本氏が)ちょっと当てるようなバッティングをすれば首位打者が取れる」。コメントの主は、南海ホークス(現・ソフトバンク・ホークス)のドン・ブレーザー監督だった。

 ブレーザー監督は、本拠地が同じ関西のライバル球団の将であり、当時、多くの野球人から一目を置かれていた。そんなブレーザー氏の言葉に感化されて練習する福本氏の姿を見た西本氏は、なんと激高。「新聞に書かれたからってすぐマネしやがって!」「ちょんとバットに当てて走るようなバッティングをやっていたら、1回か2回はヒットを打てるやろう。でも、2年目3年目と考えたときに続かない。力のない打球を打ったら、なんぼ足が早うてもアウトや」と叱りつけた。

 福本氏は、後に「あの一言が僕を変えてくれました。あのバッティングをやっていたら長くレギュラーを張れていません」と振り返る。福本氏の“強み”であり“ウリ”でもあるのは、その足である。しかし、野球は足だけで世界記録を達成できない。出塁できる打撃があってこそである。

 一時的に成果を上げるために、せっかく築き上げた自らのバッティングフォームを崩すようなことは、西本氏の育成方針にとっては言語道断だった。それ故、体全体を使ってしっかりと強い打球を打つ指導を徹底したのだ。

 もちろん、それは福本氏に限ったことではない。選手全員に、徹底して体を鍛えて、下半身を使ってしっかり打つことを指導した。戦える「体」なくして、「技」が実ることはない。強い体による強いスイングが、強い打線をつくる。徹底した「体」の強化が、阪急・近鉄での優勝を支える強打の礎となったのだ。

 ビジネスの世界でも、目先の受注やヒット商品を求めるために場当たり的なアイデアに傾倒してはいないだろうか。企画や商品ごとの“強み”や“ウリ”は、すべての根幹である。技術力に裏付けられた性能、耐久性、使い勝手といった品質などを理解してこそ、顧客の前で語る提案内容や言葉に説得力が増してくる。そのためには、自社の商品に対する理解を深めることも営業努力である。話題性や先進性といったことに気を取られて、根幹をないがしろにしていては、事業は長続きしない。そのことを指導するのがリーダーの責務なのである。

ベテランには「技」を、本人が受け入れるまで伝える

 「技」を伝えるのは難しい。中でも困難を極めるのが、過去に輝かしい成績を残しているベテラン選手とのコミュニケーションだ。

 西本氏が近鉄の監督に就任して早々に、かつて5年連続で20勝以上達成していた大エースである鈴木啓示氏に対して、「スズ、お前は20勝しとってもつまらんピッチャーやな。同じ20勝するんでも負け数をひとケタにせんと、ほんまのエースとは呼ばれへんぞ」といきなりの苦言を呈した。

 鈴木氏にしてみれば、弱小チームで20勝は誇れる記録といってもなんら過言ではない。負け数が多いのは打線の問題であり、何とかしなければならないのは自分ではないという思いがあったのだ。そんな事情を無視したような西本氏からの言葉は、いや応のない反発心へとつながっていく。

 しかし、西本氏はお構いなしに苦言を続ける。

「ストレート一本やりでなく、かわしたり、透かしたりするピッチングを覚えろ」
「阪急の選手はお前を怖がってへんぞ。ピッチングは力だけやないんや。足立(光宏氏、阪急黄金時代の名投手)のような柔軟性も必要やぞ」
「変化球でも何でもええ、抑えられるボールを投げてくれ。そうでなかったらチームは勝てん」
「力任せじゃあかん。そろそろ技を使え」
「遅い球でも、アウトにできる球があればいいんや」

 ――と毎日のように言い続けた。すると、鈴木氏の態度が変わり始めたのである。次第に「これだけそっぽ向いとるのに、ここまで言わせるのはオッサンに申し訳ないな」や、「そこまで言うんやったらいっぺんやってみたろうか」という気持ちが生まれ始めたという。

 そして、西本氏の地道なアドバイスに耳を傾けるうちに、「渾身(こんしん)の球であれば打たれても本懐」という愚直なエースが、「遅い球でも抑えられるボールがあればいい」という考え方を取り入れるまでに変わっていったのである。

「心」が磨かれて、チームは強くなる

 西本氏が近鉄の監督となって2年目の1975年。鈴木氏は22勝6敗、防御率2.26、奪三振数107という成績を残した。1971年に残した21勝15敗、防御率3.22、奪三振数269という成績と比べると、投球スタイルが変化したことは明らかだった。

 「チームの顔であるエースを叱り、それに奮起するエースの姿を見れば、ほかの選手たちに緊張感が生まれる。そう思って、スズには厳しい言葉をかけたんや。スズは、それまでもパ・リーグを代表する投手としてタイトルも取り、記録もつくっているけれども、もっともっと、すごい投手、大きな投手になってもらいたかった」

 西本氏の粘り勝ちである。そして、その狙いはエースの再成長のみではなかった。弱小チームのエースであり、気が強い「大将」タイプの鈴木氏を率先して動かすことは、チーム全体に影響を与えることにもつながった。西本氏の本当の狙いは、近鉄を「もっとすごい、大きな集団」に変貌させることだったのだ。

 鈴木氏は西本氏との出会いについてこう振り返る。

 「勝つ喜びを知ったチームに勢いが出ると、本当に野球というのはみんなで力を合わせて勝つスポーツやと改めて思うんですね。チームだけではなく、私も変わった。速球をど真ん中に投げ込んで三振を取るだけがエースやない。遅い球でも抑えられるボールがあればいい、という意識は西本さんに出会うまでまったくなかったですから」

 かくして、大エースにあと1つ足りなかった「心」は磨かれた。「草魂」と称されるほどの地道な練習により培われた鈴木氏の投球技術は、個人の本懐ではなくチームのメンバーと喜びを分かち合うために注がれるようになった。

 そして、西本氏のもくろみ通りにチームは変わる。現在と違い、当時のパ・リーグは1シーズンを前後期で分けて勝率1位を競い、前期1位と後期1位がプレーオフでリーグ優勝を決めるという方式だった。1975年のプレーオフで、近鉄は阪急に敗れるものの、シーズン後期を制した。それは球団初の「優勝」だった。強豪集団の仲間入りを果たした近鉄は、1979年には悲願のリーグ優勝、翌1980年には連覇を成し遂げたのだ。

部署というチームを闘う集団にするために

 西本氏が鈴木氏に行った指導をビジネスの世界で顧みると、よく見かけるのは……若手には厳しく指導し、実績のあるベテランには遠慮するという光景だろう。そうした差別は組織全体に伝わるものである。その状態でまとまれというのは、メンバーにしてみれば無理な相談なのである。

 企業でも、実績のあるベテラン社員を指導するのは難しい。自分なりのスタイルで業績を上げたという実績もあるから、小手先の助言では耳を貸さず、自分のやり方を変えない。それで苦労しているリーダーも多いだろう。それでもベテラン社員に改善点を語りかけ続ける情熱と粘りは、やがてベテランの再考の機会となる。そしてベテランが耳を傾ける姿は、チーム全体を正しい方向に導く指針になるのだ。

 プロ野球の球団は、裏方を含めて100人ほどの組織である。中小企業はもちろん、大企業においても、1人のリーダーがマネジメントできる人数は、100人程度が一般的といわれている。しかし、上司の熱意を100人の部下それぞれに伝え、一致団結させることは容易ではない。

 だからこそ、若手・ベテランに分け隔てなく「体・技・心」の心得を授け、彼らが率先して行動するように促すことが、組織全体をかじ取りすることにつながるのだ。その背中を見ていた若手が10年先の主力に成長していく。強い企業文化を生むヒントは、西本氏の若手への体力、ベテランへの技術、そしてチーム全体に心を授けるスタイルと共通することが多いだろう。

参考文献:
西本幸雄『パ・リーグを生きた男 悲運の闘将・西本幸雄』(ぴあ刊)

執筆=峯 英一郎(studio woofoo)

ライター・キャリア&ITコンサルタント。IT企業から独立後、キャリア開発のセミナーやコンサルティング、さまざまな分野・ポジションで活躍するビジネス・パーソンや企業を取材・執筆するなどメディア制作を行う。IT分野のコンサルティングや執筆にも注力している。

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