ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
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プロ野球で突出した成績を残し、大リーグにその名をとどろかせた「NOMO」(野茂英雄選手)と「ICHIRO」(イチロー選手)。その2人の偉大なメジャーリーガーを育てたのが、名将・仰木彬(おうぎあきら/故人)氏だ。
仰木氏は1954年から1967年の14年間、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の二塁手として活躍。通算成績は打率2割2分9厘、70本塁打、326打点、116盗塁。中西太、豊田泰光らとともに西鉄黄金時代の一員として、1956年からの3年連続日本一にも貢献した。
現役引退後は西鉄、近鉄バッファローズ(現・オリックス・バッファローズ)でコーチを歴任。1988年から1992年に近鉄、1994から2001年はオリックス・ブルーウェーブ、2005年は名称を変更したオリックス・バッファローズの監督を務めた。監督としては連続して11度のAクラス入り、リーグ優勝が3回、日本一が1回と堂々たる成績を収めている。
しかし、仰木氏の偉大さは成績のみにとどまらない。彼を語るには、個性的な超一流の選手の才能を開花させた、類まれなる人材育成の手腕を外すことはできないだろう。今回は仰木自身の著書である「勝てるには理由がある」(集英社)から、彼の人材育成術を紹介しよう。
1970年代後半から1990年代後半にかけて、日本のプロ野球界は、広岡達朗氏(東京ヤクルトスワローズ、西武)、野村克也氏(ヤクルト)、森祇晶氏(西武)という、データ分析に基づいた緻密なプレーを実践する監督たちが勝利を重ねていた。時代はスター選手の突出した能力から、チームの総合力で戦う時代へと移り変わる過渡期だった。
バントや進塁打といったチームプレーを重視し、投手は中継ぎ、リリーフといったように役割を細分化して「手堅く」勝つことが定石になりつつあった時代に、その真逆ともいえるような「突出した能力を伸ばす」という選手育成と采配を心がけたのが仰木氏だった。
そんな仰木采配が生んだ傑作の1人が、野茂英雄選手だ。アマチュアNo.1投手として当時のドラフト史上で最多となる8球団からの指名を受けた野茂選手は、仰木監督が率いる近鉄に入団した。その投球フォームは、ももを大きく上げ、大胆に体をひねる「トルネード投法」と呼ばれた。ストレートの破壊力は抜群で、ズドンと落ちるフォークボールも目を見張った。
これまでに類を見ないような個性的な投法を引っ提げて、大きな期待とともに入団したものの、野茂選手は初登板から3試合は結果が出ずに苦しんだ。トルネード投法を変えるべきだという周囲の声が強まる中、仰木氏はフォームの調整を行わなかった。その代わりに登板するイニング数を増やし、試合で投げ込ませる判断を下した。「僕は汗が出始めると調子が出る」という野茂選手の意見を尊重した采配だった。
この采配が功を奏す。トルネード投法は徐々にプロの舞台でもうなりを上げ、大旋風を巻き起こした。野茂選手は18勝を稼ぎ出し、新人王のみならずパ・リーグの投手部門を総なめにした。
「僕は今のフォームでずっとやってきましたから、このまま通していきたいです。練習方法も今まで自分がやってきた通りにやらせてください。それで勝てなかったら、そのときに考えたいです」と野茂選手は、自分の意志を貫くタイプであった。
野茂選手はアマチュアでも、オリンピック銀メダルなどの実績を残している。プロになる前から、自分のコンディションや長所を引き出す練習とプレーのスタイルを確立していた。だから仰木氏は、彼が主張するのであれば、まずは尊重すべきと考えた。それで結果が出なければ、監督やコーチの指導を受け入れるようになる。これは自己分析ができていない選手のわがままを容認する放任主義では決してない。
本人の実力を見極め、意見に耳を傾け、結果に基づいて判断する。そして選手の個性と状況を見守りながら、必要なタイミングに、必要なサポートを施す。仰木の育成は、型にはめようとするのではなく、見守って個性を伸ばすものだった。選手の個性を見極めることが、仰木氏の妙技だったのである。
仰木氏は1994年のオリックス・ブルーウェーブ監督時代にも、世界的な超一流選手の才能を開花させた。「振り子打法」でプロ野球を席巻し、後にメジャーリーグで大記録を打ち立てたイチロー選手である。
ドラフト前から話題となっていた野茂氏と違い、イチロー選手は1991年に高校を卒業し、ドラフト4位でオリックスに入団。プロ入りして2年間は1軍と2軍を行ったり来たりしていた。仰木氏が監督に就任したのはイチロー選手がプロ入り3年目のシーズンだった。仰木氏はイチロー選手が「この打席でヒットを打たなければ、次がない……」という不安を常に持って打席に立っていたことを素早く見抜いた。
「この打席で打てないと、また2軍に戻される」という不安を抱えながらプレーするのと、「この打席で打てなくても、監督は長い目で自分を使い続けてくれる」という信頼感があるときでは、選手の心理はずいぶん違ってくる。仰木氏は、イチロー選手が1軍に定着できないのは、その不安を抱えていたからと感じ取った。そこでイチローを開花させるのは、監督との信頼感と1軍での経験だと判断。1994年の春季キャンプで「1年間、何があっても使い続ける」と声をかけた。
その年、イチローは開幕から1軍で起用され才能が開花。210安打というシーズン最多安打記録を樹立し、首位打者、最高出塁率、ベストナイン、ゴールデンクラブ賞なども獲得、打者としては日本プロ野球史上最年少となるシーズンMVP賞にも輝いた。もちろん、独特の「振り子打法」にも注文は付けず。個性を尊重した結果である。
このように個性を伸ばすという仰木氏の育成方針は、どの選手でも変わらない。しかし、選手は1人ひとりの性格や置かれた状況が異なる。成人した社会人であり、アマチュアの実績も十分の野茂選手。未成年の高卒で実績の少ないイチロー選手。その両方の個性を伸ばし開花させた仰木氏の手腕は、球史でも特筆すべきものとして記憶されることとなった。
選手育成で得た経験から、仰木氏は選手の「管理」は時代とともに変わるべきものと考えている。つまり個性をうのみにするのではなく、指導者が管理することも必要だとしている。実績がなく、組織が進むべき目標への理解、自分自身を高める意欲や手法に欠ける人間には管理が必要不可欠なものである。仰木氏は、そのような選手には厳しく指導した。
しかし、実力があると思われる人間には、まずはやりたいようにやらせて、それで結果が出せる選手には自己管理を委ねた。結果が出ないならば、仰木氏はそのときにこそ彼らに道を示してみせた。マネジャーの判断とは、部下の個性、状況、組織の状況、社会や市場の状況を鑑みて、総合的な視点で下すものであるとしている。
個人が強くならなければ、組織全体の目標達成も実現できない。自己主張が強い若者たちに、組織のためという「フォア・ザ・チーム」を押し付けても、かえって個人の資質を委縮させてしまう場合がある。マネジメントとは、人材と状況、タイミングによって手法を判断するものであり、その判断を誤ると個人を潰し、組織の発展を阻害してしまうのだ。
仰木氏は、野茂選手やイチロー選手の個性を型にはめるマネジメントで潰すことなく、個性を伸ばして世界を代表する選手に育て上げた。管理野球全盛期に、チームの総合力を重視する役割分担型の育成ではなく、1人ひとりの個性と向き合うマネジメントで、リーグ優勝と日本一も果たしている。
プロ野球だけでなく、現在の組織は、チーム主義と個人の重視の間で揺れ動いている。チームによる組織の能力向上が図られる一方で、在宅勤務や副業解禁といった個人を重視した新しい働き方も広がっている。こうした時代、個人の能力を最大限に伸ばしつつ、組織としての結果を残す柔軟なマネジメントのヒントを、仰木氏の選手育成術から得ることができるだろう。
参考文献:
仰木彬『勝てるには理由がある』集英社刊
執筆=峯 英一郎(studio woofoo)
ライター・キャリア&ITコンサルタント。IT企業から独立後、キャリア開発のセミナーやコンサルティング、さまざまな分野・ポジションで活躍するビジネス・パーソンや企業を取材・執筆するなどメディア制作を行う。IT分野のコンサルティングや執筆にも注力している。
【T】
プロ野球に学ぶ、組織の力を伸ばした男たち