ビジネスWi-Fiで会社改造(第44回)
ビジネスWi-Fiで"学び"が進化する
経営者の育てられ方から子育ての極意を学ぶ連載。今回、取り上げるのはネクストの井上高志社長です。引っ込み思案だった少年をベンチャー企業の社長へと導いた母の見守り方を学びます。
井上高志(いのうえ・たかし)
1968年生まれ。青山学院大学を卒業後、リクルートコスモス(現・コスモスイニシア)、リクルートを経て、95年に創業。97年ネクストを設立。「HOME’S(ホームズ)」を日本最大級の不動産・住宅情報サイトに育て上げた。
自分はどうして経営者になったのだろう。父親はごく普通のサラリーマンで、母親は専業主婦。親戚を見渡しても、自分以外には誰一人、事業家がいない。井上高志はネクストを創業後、「突然変異」が起こった理由をずっと考えていた。
1968年、横浜に生まれた井上は、青山学院大学4年のときに起業を決意した。「会社勤めは起業のための修業。5年以内に独立する」というプラン通り、リクルートコスモス(現コスモスイニシア)を経て転籍したリクルートを、社会人5年目で退社。95年にネクストの前身となる会社を立ち上げる。そうして不動産・住宅情報サイト「HOME’S(ホームズ)」を、業界最大規模に育て上げた。
一般に、創業経営者には子どもの頃からその片鱗が見られることが多い。人一倍アグレッシブであったり、人を引きつけるリーダーシップがあったり。しかし、井上の場合は違った。引っ込み思案で、自己肯定感が低い少年だったという。
「当時は学年で身長が一番低く、『チビ』とからかわれていました。腹は立つのですが、面と向かって言い返すほどの強さはないので、いつも笑ってごまかすだけ。しかも5歳上に姉、1歳上に兄がいて、この兄がすごく勉強ができた。一応自分も頑張るのだけど、兄には追いつけない。常に私の一歩先を走っている、目の上のたんこぶのよう存在でしたね。そんな子ども時代だったから、なかなか自分に自信が持てなかったんです。将来はこんな大人になりたいという夢もない。『高志』という名前に完全に負けているな、俺は『低志(ひくし)』だと、自虐的に思っていました」
自信喪失気味の少年を変えたのが、母親だった。井上の母は、人と比べることを一切しなかったという。
「お兄ちゃんを見習って、あなたも頑張りなさい」という言い方をする親は多いが、井上の母は「勉強で分からないことがあったら、いつでも聞いてね」と言うだけ。「勉強しなさい」と言われた記憶すらないという。
「人と比べてチビだとか、兄と比べて頭が悪いとか、そんなことは関係ない。自分は自分、この世の中で唯一無二の存在であり、とても尊い。そんな自己肯定感を持つようになったのは、母が私のことを一個の確立した人格として扱ってくれたからです」
井上の母親がよく口にしていたのが、次の3つの言葉だった。1つ目は「世界中の人があなたの敵になっても、母さんはいつも味方よ」。新しいことにチャレンジしようとしているとき、あるいは物事がうまくいかなくて落ち込んでいるときを見計らって、母は井上をそう励ました。「絶対的な味方がいる」という安心感が、どれほど井上の背中を後押ししたかは想像に難くない。
2つ目は「あなたは大器晩成よ」。母親自身も根拠はなかったのかもしれない。ただ繰り返しそう言われると、井上は「もしかしたらそうかもしれない」と不思議な自信を持つようになったという。
3つ目は「何事も経験よ」。「3日坊主でもいい。失敗してもいい。とにかくやってごらんなさい」と、母は呪文のように何度も唱えた。引っ込み思案だった井上の性格は、次第に行動的になる。
こうした言葉は、口先だけなら誰にでも言える。しかし井上の母は違った。こんなエピソードがある。井上が23歳のとき、雨の中を車で走行中、カーブを曲がりきれずに対向車と正面衝突した。幸い、相手は軽傷で済んだが、フロントガラスに突っ込んだ井上は、頭を何針も縫った。帰宅後、母に経緯を説明すると、こんな反応だった。
「あら、そう。じゃあ明日、相手の方に謝りにいかなくちゃね」。目の前にいる息子の頭は、包帯でぐるぐる巻き。普通なら、どうしてそんな事故を起こしてしまったのか。なぜもっと注意して運転できなかったのか。動揺し、息子の非を戒める場面だろう。しかし、井上の母親はそうしなかった。
「厳しく?られたほうが、こちらもいろいろと言い訳ができ、気持ち的には楽だったかもしれない。『あら、そう』とあっさり言われて、かえって申し訳なさがこみ上げてきた。おそらく母は、十分に反省している私の表情を見て、?る必要はない、むしろ何も追及しないことが、私への愛情だと考えたのでしょう」
会社を辞めたときもそうだった。辞めることは家族に一切話していなかった。自分の中では前々から決めていたこと。親から何を言われても、決心は変えないつもりだったが、やはりはばかられた。最終日の仕事を終えて自宅に戻り、初めて母に伝えた。
「実は今日付けで、会社を辞めてきた。自分で創業する」。母親は、穏やかな表情でこう言ったという。「あら、そう」。
事故を報告したときと同じ言葉が返ってきた。有名大学を出た息子が、せっかく就職した大企業を突然辞めてしまった。しかも、親に一言もなく。「どうして辞めたのか」と尋ねるのが、普通の親だろう。
なぜ、井上の母親は何も聞かなかったのか。後年、井上は母親に尋ねたことがある。「どうしてあのとき、何も言わなかったの」。「だって何が起こっても、私はあなたの味方だもん。その気持ちが揺らぐことはないから、あなたが何をしてもいいのよ。生きてさえいればね」。
ここまで息子の決断を尊重することができるものか。幼い頃からかけられ続けた「いつも味方よ」という言葉は、決して口先のものではなく、心底思ってくれていたのだ。井上は、母が注いでくれた愛情に改めて感謝の念を強くしたという。
日経トップリーダー/執筆=北方 雅人・本荘 そのこ
出典:絶対肯定の子育て 世に名を成す人は、親がすごい
執筆=北方 雅人/本荘 そのこ
本荘 そのこ1969年北海道生まれ。法政大学大学院経済学研究科経済学専攻修士課程修了。地方新聞社、法律事務所勤務などを経て、98年からフリーの記者として活動。
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